2007年8月29日水曜日

麻生語録

麻生太郎新自民党幹事長の語録です。

“創氏改名 朝鮮人の要求”
“高齢者 迷惑するくらい元気”
 新しく自民党幹事長になった麻生太郎氏は、数々の暴言を繰り返し、国内外から厳しく批判されてきました。主な暴言をみてみました。
改憲・軍拡
 「自衛隊(の存在)はみんなが認めている。日本は戦力を保持しないといっても、外国は理解できない。憲法九条二項を『陸海空自衛隊、これを置く』と置き換えればいい。憲法『改正』でなく『修正』が第一歩だ」(01年4月14日、時事通信社などとのインタビュー)
 集団的自衛権をめぐる政府見解について「権利はあるが使ってはいけない、というのは無理がある。世界中で認められていない国はない」。(01年11月4日、学習院大学で講演)
 「周辺事態」で海上自衛隊艦艇が支援中の米艦へ攻撃があった際、「日本が逃げるというのは、同盟関係でいかがなものか」と述べ、応戦も認められるべきだと見解。(06年10月27日の衆院外務委員会)
 「核武装」をめぐる議論について「いろんなものを検討したうえで持たないというのも一つの選択肢だ」と核武装の議論を否定せず。(06年10月17日の衆院安全保障委員会)
 日本の核武装に関する質問に対し「安さだけでいったら、核(武装)の方がはるかに安い」「ミサイル防衛(MD)の技術はこの十年で恐ろしく進歩した。日本が専守防衛をやるなら、MDを徹底してやった方がいい」。(03年5月31日、東京大学で講演)
 北朝鮮のミサイル発射について、朝鮮労働党の金正日総書記に「感謝しないといけないかもしれない」。(06年7月8日、広島市内の講演)
靖国・歴史観
 「遊就館には何度か行ったことがあるが、戦争を美化するという感じではなく、その当時をありのままに伝えているというだけの話だ」(05年11月21日に出演した米通信社ブルームバーグ・テレビの番組でインタビュー)
 「(靖国神社に)祭られている英霊は、天皇陛下万歳といった。天皇陛下の参拝が一番だ」(06年1月28日)
 小泉純一郎首相の靖国参拝について「祖国のために尊い命を投げ出した人たちを奉り、感謝と敬意をささげるのは当然。首相としても簡単に譲るわけにはいかないと思う」と支持。(05年11月13日、鳥取県湯梨浜町で講演) 
 「『大変だ、大変だ』と言って靖国の話をするのは基本的に中国と韓国、世界百九十一カ国で二カ国だけだ」(05年11月26日、金沢市内の講演)
 「創氏改名は、朝鮮人の人たちが『名字をくれ』と言ったのが始まり」と事実をねじ曲げる。(03年5月31日、東京大学で講演)
消費税増税
 「一連の構造改革を支えていくために税構造を抜本的に変えるなど、直間比率の見直しなどを含めた税制改正を行う」と発言。党税制調査会での議論に、消費税増税も検討課題にすることを示す。(02年1月19日、自民党大会)
 「基本的には、直間比率を見直さないといけない。(消費税の比率を増やす)広く薄く、が正しい」(03年1月7日、自民党本部で会見)
偏見・暴言
 「高齢者の85%は周りが迷惑するくらい元気だ」(06年9月14日、自民総裁選街頭演説会)
 「六十五歳以上で寝たきり老人や、要介護老人はたった13%。87%は、周りが迷惑するくらい元気が良い。しかも(お金を)持っとる」(07年1月19日、愛知県春日井市で講演)
 「消えた年金」五千万件の突き合わせで年金受給者は「もっともらえるかもしれない。こらぁ欲の話だろうが。それが、何も、いまあせって電話することない」。(07年7月12日、兵庫県姫路市で街頭演説)
 「七万八千円と一万六千円はどっちが高いか。アルツハイマーの人でも分かる」などと日本のコメが中国で日本国内よりも高値で流通していることを例に、農産物の輸出を奨励。(07年7月19日、富山県高岡市で講演)
 「独断と偏見だが、金持ちのユダヤ人が住みたくなる国が一番いい国じゃないか」「ユダヤ人と挙げて気に入らなければ、アルメニア人でも華僑でもいい。少なくとも日本人の中では(反発は)考えられないと思う」 (01年4月19日、東京都内の日本外国特派員協会で講演)

2007年8月28日火曜日

ネットカフェ難民

◆ネットカフェ難民、全国で5400人・厚労省調査  ネットカフェを泊まり歩いて暮らす「ネットカフェ難民」が全国で推計約5400 人にのぼることが、厚生労働省が初めて行った調査で28日分かった。半数が日雇 い派遣やパートなど非正規雇用だったほか、40%は失業者や就職活動をしていな い無業者だった。年齢別では20代が26.5%とトップで50代も23.1%。厚労省は住 居確保や就労支援に向けて約1億7000万円を来年度政府予算の概算要求に盛り込 む。

2007年8月27日月曜日

四季のつぶやき№313

━━━━━━━━━ 20078/27 第313号 ━━━━━━━
愛┃知┃西┃三┃河┃か┃ら┃ 四季のつぶやき 週刊月曜日━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛ 
☆編集責任者・桜井善行  メルマガ版善行さんの別荘 
 Eyosiyuki@hm.aitai.ne.jp  HP http://www.hm.aitai.ne.jp/~yosiyuki/ 
にもぜひ訪問を!━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━   ■8月も下旬になりました。もうこの頃になるとどことなく秋の気配が漂うのですが、ことしは夏の勢力がまだまだ威張っています。寝苦しい夜、皆さんはどのように過ごしていますか?■メルマガを最適な状態でお読み頂くために、ご使用メールソフトのフォント設定を「MS ゴシック」「等幅ゴシック」などにご設定ください。------------------------------------------------------     ▼四季のつぶやき(通算353)  2007・8・27  ★夏の風物詩といえば、花火、海水浴、縁日、かき氷、いろいろ夏をテーマにしたキーワードは登場します。「熱闘甲子園」もその1つでしょうか?炎天下で、白球を追う球児の姿が、メディアの映像を通して結果として美しい脚色でできあがったドラマに人々は酔うのかもしれません。★もちろん、近年のスポーツ報道のあり方は各方面から問題も指摘されています。陸上、水泳にみられるように、テレビ局の独占放送や意識的なヒーローヒロインづくりによる実像と虚像のギャップも見られます。まあ、娯楽だからと割り切ればそれで済ますこともできますが、そうとばかりはいえない面もあります。★実は高校野球は同じ高校スポーツの中でも独特の扱いを受けてきました。高野連が高体連と同等で扱われてきたこともあります。その矛盾がもっとも表れたのが特待生問題でした。学校の広告塔として優れた選手を全国からかき集めて立派な成績を残すスタイルがとられてきました。だから当たり前のことをやっている学校は、日の目を見ないのは当然でした。★この夏の佐賀北の優勝は公立高校でも可能なのだということを示したのは快挙でした。しかし、あいおかわらぬ古い体質から抜けきれない面もあります。審判は「絶対」という価値観は、そのスキルが磨かれているからこそ成り立つのであって、一皮むけば怪しい判定もいくつかありました。権威にあぐらをかいていると、いつの日にか大相撲の二の舞になるのではという危惧もするのですが。
▼今週のお気に入り▼社会事情データ図録集 http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/index.html  このWEBページは、社会経済の実情を統計数字など客観的なデータにもとづくグラフによって分かりやすく把握できるよう作成したものです。
▽▽▽編集後記▽▽▽Eメールyosiyuki@hm.aitai.ne.jp  編集者 桜井 善行HP http://www.hm.aitai.ne.jp/~yosiyuki/  にも訪問を。

2007年8月25日土曜日

h17所得再配分調査2

2007年8月
報道発表資料
平成17年 所得再分配調査報告書
目       次
序章 調査の概要
第1章 世帯単位でみた所得再分配調査結果
1 所得再分配による所得分布の変化
2 所得再分配による十分位階級別所得構成比の変化
3 所得再分配によるジニ係数の変化
4 当初所得に対する社会保障の拠出と給付の関係
5 当初所得階級別所得再分配状況
6 世帯類型別所得再分配状況
7 世帯主の年齢階級別所得再分配状況
8 地域ブロック別所得再分配状況
第2章 世帯員単位でみた所得再分配調査結果
1 所得再分配による所得分布の変化(等価所得)
2 所得再分配による十分位階級別所得構成比の変化(等価所得)
3 所得再分配によるジニ係数の変化(等価所得)
4 当初所得階級別所得再分配状況(等価所得)
5 世帯員の年齢階級別所得再分配状況(等価所得)
6 世帯員の年齢階級別にみた所得再分配によるジニ係数の変化(等価所得)
(参考)
1 世帯単位でみたジニ係数の変化の要因分析
2 ジニ係数の改善度の分析方法の見直し
統計表
第1表 所得再分配による所得階級別の世帯分布の変化
第2表 当初所得階級別所得再分配状況
第3表 世帯類型別所得再分配状況
第4表 世帯主の年齢階級別所得再分配状況
第5表 世帯構造別所得再分配状況
第6表 世帯人員別所得再分配状況
第7表 所得再分配による所得階級別の世帯員分布の変化(等価所得)
第8表 当初所得階級別所得再分配状況(等価所得)
第9表 世帯員の年齢階級別所得再分配状況(等価所得)
第10表 世帯員の年齢階級別ジニ係数(等価所得)
用語の定義
照会先:政策統括官付政策評価官室(03-5253-1111内線:7778,7779)
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2007年8月
報道発表資料
厚生労働省ホームページ

h17所得再配分調査

厚生労働省統計表データベースシステム
統計調査別公表データ
所得再分配調査平成17年
表番号
統計表名
ファイルのダウンロード
結果の概要
PDF
所得再分配調査結果
PDF
統計表
Excel
第1表
所得再分配による所得階級別の世帯分布の変化
Excel
第2表
当初所得階級別所得再分配状況
Excel
第3表
世帯類型別所得再分配状況
Excel
第4表
世帯主の年齢階級別所得再分配状況
Excel
第5表
世帯構造別所得再分配状況
Excel
第6表
世帯人員別所得再分配状況
Excel
第7表
所得再分配による所得階級別の世帯員分布の変化(等価所得)
Excel
第8表
当初所得階級別所得再分配状況(等価所得)
Excel
第9表
世帯員の年齢階級別所得再分配状況(等価所得)
Excel
第10表
世帯員の年齢階級別ジニ係数(等価所得)
Excel
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中国でのトヨタ

時事通信配信記事です。
2007/08/24-16:26 トヨタ、年内に500店舗=中国の販売体制拡充
 【北京24日時事】トヨタ自動車の佐々木昭中国本部長(専務)は24日、北京で開かれた経済フォーラムで講演、中国で展開する3系列の販売チャンネルの総店舗数を現在の約400から今年末には500強に拡大し、年間販売目標「45万台以上」の達成に向け体制を強化する方針を明らかにした。【関連する企業ニュース】
08/23 17:24
トヨタといすゞ、ディーゼル開発で提携合意=欧州向けに2012年生産開始
08/22 13:33
トヨタ、世界販売1000万台超へ=海外好調で-09年見通し
08/20 16:45
トヨタ、ハイエースをマイナーチェンジ
08/10 16:23
プリウス、15年度燃費基準を達成=認可第1号-トヨタ
08/10 11:18
トヨタ、スポーツ車開発へ=若者向けに、富士重と共同で

2007年8月23日木曜日

wikiより


ハンセン病
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索

項目統合の提案:ハンセン病患者の隔離のこの項目への統合提案されています。統合に関する議論はノート:ハンセン病を参照してください。
ライ病 は この項目 ハンセン病 へ転送されています。小児病の1つについてはライ症候群をご覧ください。
医療情報に関する注意:ご自身の健康問題に関しては、専門の医療機関に相談してください。免責事項もお読みください。

この項目または節は主として日本国内のものを扱った記述になっており、世界的な観点からの説明がされていません。この項目を日本中心にならないように加筆、訂正 するか、この項目のノートでこの問題について議論をしてください。
ハンセン病(ハンセンびょう Hansen's disease)とは、抗酸菌の一種であるらい菌(Mycobacterium leprae)の末梢神経細胞内寄生によって引き起こされる感染症。病名は1873年にらい菌を発見したノルウェーアルマウェル・ハンセン(Gerhard Henrik Armauer Hansen)に因む。ハンセン氏病とも呼ばれた。
かつては癩病(らいびょう)と呼んだが、現在では差別用語とされる。なお、らい菌発見以前は、ハンセン病に似た症状の病気は全てそう呼ばれた。

[国立感染症研究所のHP]より 抗酸菌染色の像である。ハンセン病の原因となるらい菌は赤色に染まっている。
目次[非表示]
1 名称
2 分類
3 感染・疫学
4 療養所
5 症状
5.1 皮膚
5.2 末梢神経
5.3 眼
5.4 らい反応
6 診断・検査
7 治療
8 日本における差別と補償の歴史
8.1 差別の原因
8.2 法制・強制隔離の歴史
8.3 らい予防法廃止以後
8.4 海外の療養所への補償
8.4.1 ハンセン病補償法訴訟
9 関連事項
10 関連項目
10.1 関連人物
10.2 関連作品
10.3 関連事件
10.4 医学関連
10.5 その他
11 外部リンク
12 参考文献
13 出典
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[編集] 名称
癩病(らい病)(あるいはらい)と漢語由来の呼称で一律に呼ぶようになったのは明治以降で、江戸以前は一般的にやまとことばで「かったい」と呼ぶことが多かった。戦後までこの語句が使われていた地方もある。その他、地域によって「ドス」「ナリ」「クサレ」「ヤブ」などの蔑称が使われていたこともあった。また、昭和期には言い換え語としてドイツ語またはラテン語の「レプラ(lepra)」が用いられていたこともあり、織田作之助の作品などに見られる。しかし、「癩病」という名称には、歴史的に穢れや差別の要素が付きまとってきたこともあり、代わって近代医学的にこの感染症の病原菌を発見したハンセンの名をとり、ハンセン病と呼ぶのが正しいとされ推奨されている。その一方、癩病という言い方は、現代では差別的な用例とされ避けられている。ただし、医学的には、近代医学以前の時代に歴史的に癩病(らい病)とされたものにはハンセン病と特定される疾患の他に、他の皮膚病などで一見ハンセン病類似の症状を呈した疾患が含まれる。そのため、歴史的癩病≠ハンセン病であるので注意が必要である。
日本聖書刊行会から出版されている『新改訳聖書』第三版ではヘブライ語の原音に近い「ツァラアト」と、また日本聖書協会から出版されている『新共同訳聖書』では意訳的に「重い皮膚病」と訳されておりいずれも「癩病」の表現は避けられている。その一方で、同様に歴史的「癩病」に対して「癩病」の表現を避けるために「ハンセン病」の名を使う出版物も目立つ。これらは先述のようにハンセン病以外の疾患も含んでいると考えられ、「癩病」を一律に「ハンセン病」の名で置き換えている状態になっている。それが表現として適切であるか、という議論がある。

[編集] 分類
病型 らい腫型(L型)・境界群(B群)・類結核型(T型)・発病初期群(I群)に分けられる。L型とT型の間には、個々人の免疫状態によりさまざまな程度の病像を呈する、B群と呼ばれる境界群を設定している。I群は、ハンセン病特有の症状に乏しい発病初期を一つにまとめたものである。
Ridley & Joplingの分類法 L型→LL、B群→BL・BB・BT、T型→TT・I群→Iの1群5型に分類。らい菌にたいする生体の細胞性免疫の強弱に基づいた分類である。LL型ではTh2型の反応が生じ、抗原提示や殺菌などの機能が抑制される(細胞性免疫の低下)。TT型ではTh1型の反応が生じ、細胞性免疫は保たれるが、強い組織傷害を起こすサイトカインが出現する。
L型(らい腫型)(結節らい)
らい菌に対して免疫をほとんど持たない人が、らい菌と接触し感染が成立した場合に生じる。体や四肢に褐色の結節(癩腫)を生じ、眉毛が抜けて頭毛も少なくなり、結節が崩れて特異な顔貌を呈する。皮膚の病巣から菌が検出される。病理組織検査では、らい菌が多数検出できるが、リンパ球の浸潤は少ない。
T型(類結核型)(斑紋らい・神経らい)
らい菌に対する免疫は本来存在するが、何らかの理由で免疫が低下したりして、感染が成立するような場合に生じる。皮膚に知覚麻痺をともなう紅色斑を呈する。皮膚からの菌の検出はほとんどないため診断を困難にする場合があるが、その一方で、免疫反応と考えられる神経の障害が、発病の初期から起こることが多いため、神経障害などの臨床症状から診断がつくのがほとんどである。病理組織検査でも、らい菌が検出されないが、末梢神経の周りにリンパ球の強い浸潤像がみられる。

[編集] 感染・疫学
感染源は未治療のらい菌保有者(特に菌を大量に排出するL型患者)からの経鼻・経気道的による。ただし、らい菌の感染力は非常に弱いため、らい菌を多く保有している人との乳幼児期に継続的かつ多頻度に渡る濃厚な接触による以外はほとんど発病に至らない。さらにらい菌と接触する人の95%は自然の免疫で感染を防ぐことが出来る。[2]小児期以降の感染による発病は近年では認められていない。潜伏期間は数年から数十年という幅がある。
らい菌の膜表面にあるフェノール性糖脂質(PGL-1)と末梢神経のシュワン細胞表面のラミニン2の親和性が高いことが分かっており、らい菌が神経細胞に感染すると脱髄を引き起こし、それにより末梢神経障害が起こるとされる。その後、その神経細胞で菌が増殖して、末梢神経障害が次々に拡大する。
日本における新規患者数は毎年数名であるが、そのほとんどが幼児期、外国で過ごしたことがある在日外国人である[1]。在日外国人の中ではブラジル出身者と東南アジア出身者がほとんどを占める。また、日本人の中では沖縄出身者がほとんどを占める。また、国外における新患としてはインド、ブラジル、ネパールタンザニアモザンビークマダガスカルに多数の発生が見られ、この6カ国で世界の90%を占める。国により、病型の統計はまちまちであり、日本の統計では、らい腫らいが多く、またらい性禿頭症や失明も多かった。光田健輔によると1911年に国立療養所多磨全生園では58.63%に禿頭症がみられた。沖縄や東南アジアの様な流行地では症状は一般的に軽いといわれている。
ハンセン病は、人獣共通感染症でも知られるが、自然動物ではヒトを含めた霊長類とアルマジロ以外に感染する動物は見つかっていない。そのため、ハンセン病の研究にはアルマジロが用いられてきた。しかし、現代では突然変異により胸腺を欠き、免疫機能不全に陥っているヌードマウスなどでも感染・発症することが明らかになったため、研究は主にマウスで行われるようになった。
結核菌では機能している遺伝子の割合が90.8%であるのに対し、らい菌は49.5%と極端に少ない。そのため、生存と増殖を全面的に宿主細胞に依存している。そのため、らい菌は通常の細菌と異なり培養ができない菌である。従って、治療薬の開発に困難をきたした。分類上近縁の結核菌による結核に有効な薬剤を種々テストしたという歴史がある。

[編集] 療養所
現在、全国13か所の国立ハンセン病療養所と全国2か所の私立ハンセン病療養所(神山復生病院待労院診療所)に約3,100人(3,079人・2006年5月1日現在)が入所している。ほとんどがすでに治癒している元患者である。平均年齢77.5歳(80歳以上の高齢者が全体の38%、70歳以上が80%)である。さらに寝たきり者は全国平均で7.1%、認知症は9.0%、年間の死亡者数は全国で200~250人である。高齢と病気の後遺症による障害、さらにかつて強制的に行われた断種手術、堕胎手術のために子供がいない元患者が多いことから、介護を必要として療養所に入所しているのが実情である。また、社会復帰するための支援を行っているが、実際に社会復帰できた例は少ない。
現在の療養所の医療は、一部を除いて医師の定員さえ確保されておらず、医療機器の整備も十分でないため、外部の医療機関に委託診療という形を取っている場合が多い。年々入所者の数は減る一方であるため十分な資金をかけることもできない現状もある一方、入所者にとっては死ぬまで退所・転園することなく最後まで国に面倒をみてほしいという希望がある。政府は、法的責任を踏まえた上で最後まで面倒をみると保障している。
各療養所には、納骨堂(のうこつどう)と呼ばれる重要な施設がある。家族・故郷に見捨てられた行き場のないお骨を納める場所となっている。

[編集] 症状
感染・発症すると、末梢神経が侵され、皮膚症状が現れたり、病状が進むと身体に変形が生じることもあるが、重篤な病変には至らない。発病した場合、患者のらい菌に対する抵抗力(細胞性免疫)によって、類結核型(T型)、らい腫型(L型)、その中間の境界群(BT, BB, BLに分群)および初期の群(I群)に分類される症状を呈する。

[編集] 皮膚
らい腫型(L型)
丘疹型、結節型、瀰漫浸潤型に分けることもあるが、実際には皮疹が混在していることが多い。疼痛や痒みなどの自覚症状はない。表面が脂ぎって滑らかな感じがあり、左右対称性に発疹が分布し、境界は不明瞭であるという特徴がある。
類結核型(T型)
多様な発疹が出現する。らい腫型(L型)と異なり孤立性で数も少なく、発疹の分布は非対称的である。境界は明瞭で比較的単純な弧を描いているのが特徴である。また、その部分の皮膚の構造は破壊されて発汗障害をきたしたり毛が脱落するとともに、皮疹に一致して明瞭な知覚障害を生じる。
境界群(B群)
らい腫型(L型)・類結核型(T型)の移行群の総称であり、様々な発疹を生じる。1型らい反応(下記記載)を起こしやすい。

[編集] 末梢神経
末梢神経の肥厚を伴い、知覚障害、運動障害、自律神経障害が出現する。また、初発症状であることもしばしばみられる一方、治癒後も後遺症を残すという意味で、重要な症状である。知覚障害は島状に分布し、通常の神経の走行に一致しての障害ではないことが多い。また、逆に知覚過敏になり神経痛などの後遺症もしばしばみられる。神経痛は非常に多く、その部位は前述の特徴を有する。症状もさまざまで、俗称だる神経痛(だるいからくる)などもある。この知覚障害のため外傷・熱傷に侵されやすい。さらに、自律神経障害も生じると、その神経の支配領域に一致する皮膚からの発汗作用が障害されるため、皮膚は乾燥し弾力性を失い、傷を受けやすくなり、皮膚の防御力も減退する。また血管等に見られる神経反射作用が消失し、その部位における防御作用や炎症の治癒機転の障害にもなる。よって、傷ができやすい上になかなか治りにくいということがあり、十分なケアを必要としている人が多い。足底の潰瘍は、うら傷と称し、歩行したい患者にとって、著しく難治の場合が多い。

[編集] 眼
顔面神経麻痺による兎眼、三叉神経麻痺による角膜の知覚障害が原因で、角膜が障害されやすくなり角膜炎を併発し失明する人もいる。また、鼻粘膜が障害され、涙管閉塞をきたすこともしばしば起こり、逆行性感染による頑固な結膜炎も起こすことがある。そのため、常に点眼剤を必要とする人も多い。

[編集] らい反応
ハンセン病は、菌自体の働きが遅いため、一般に慢性的な経過をとることが多いが、場合によって急激な反応を起こすことがある。それを、らい反応という。
1型らい反応
境界群(B群)で生じる。境界反応(Reversal reaction)ともいう。急に皮膚の発赤が増強したり腫れたりする症状や末梢神経障害の急激な増悪反応である。入院加療の上、ステロイド大量投与(内服・筋肉注射など)を行う必要がある。
2型らい反応
らい腫型(L型)で治療を行っている人に生じる。らい性結節性紅斑(ENL,Erythema nodosum leprosum)と正式に呼ぶ。通称、熱こぶとも呼ばれる。発熱と皮膚に有痛性の結節を生じるのが特徴である。治療を行った際に、大量に菌が死滅し、それに対して強い免疫反応を起こすために生じる。TNFαの産生を抑制するサリドマイドやステロイドが治療薬として使用することもある。ちなみに、らい性結節性紅斑(ENL)の命名者は村田茂助である(1912年)。そして、その名称は太平洋戦争後から世界的に使われている。

[編集] 診断・検査
症状 
特にT型の早期に出現する発疹に一致した神経障害が重要。
触診 
尺骨、橈骨、腓骨、大耳介神経などを触れると肥厚が触診で分かる。
病理検査 
発疹の一部の組織を採取し、標本にして顕微鏡でみる検査。Ridley & Joplingの分類に基づき病型分類される。HE染色だけでなく菌の検出のため抗酸菌染色(Fite染色)も行う必要がある。抗酸菌染色としてチールニールセン染色も用いられるが染色性が悪いため偽陰性と判断されることもあるためFite染色が推奨されている。らい腫型(L型)では、らい菌が多数検出できるがリンパ球の浸潤は少ない。類結核型(T型)では、ほとんどらい菌が検出されないが、リンパ球の強い浸潤像がみられる。リンパ球が末梢神経の周囲に入ることは、他の疾患ではない、とされる。
細菌検査 
発疹部の皮膚を切開し、組織の塗抹をスライドガラスに置きチールニールセン染色を行い、菌数を調べることが可能である。菌数の表記には菌指数(BI: bacterial index)が用いられている。また、菌の形態を指標とする形態指数(MI: morphological index)は、菌の感染性や薬物の効果を見る上で参考になる。
レプロミンテスト 
らい結節から得られた抽出物、レプロミンを皮内に注射して反応を見る検査である。この検査は、結核のツベルクリン反応に似ている。らい菌に対する細胞性免疫反応をみる検査で、T型と正常人で陽性、L型で陰性となる。実際には、Fernandez反応と光田反応がある。Fernandez反応は、皮内に注射後48時間後の発赤をみる早期反応で、光田反応は注射後2~3週間後の硬結をみる晩期反応である。ちなみに、光田反応の名前は、光田健輔の研究(1919)から発展して作られた検査に由来する。以前は盛んに行われた検査であるが、現在はレプロミン自体を入手することが困難であるため、ほとんど行われない。
らい菌抗体の検出
らい菌特異的抗原の一つであるフェノール糖脂質(PGL-1)に対する抗体を血液検査で測定する方法が最近、行われるようになった。ちなみに、PGL-1の構造はGlc-Rha-Rhaの3単糖である。L型で強陽性であるが、T型ではまったく検出されない。
PCR
らい菌の持つ熱ショック蛋白の内、他の抗酸菌と交差しない部位のDNA配列は、遺伝子増幅法であるPolymerase Chain Reaction (PCR)を用いたらい菌の検出に用いられている。培養のできないらい菌を迅速に検出する方法として重要で、組織生検の一部を未固定で凍結乾燥しておけば、検査が可能である。
らい菌に対する薬剤耐性検査
らい菌の遺伝子解析から、ジアフェニルスルホン(DDS)、リファンピシン(RFP)、オフロキサシン(OFLX)への耐性は特定遺伝子の突然変異であることが判明し、遺伝子変異の検査により薬剤耐性が早く分かるようになった。

[編集] 治療
古くは、イイギリ科 Hydnocarpus 属(APG植物分類体系ではアカリア科に移動)に属する何種類かの植物の種子である大風子種皮を除いてから圧搾して得た脂肪油である大風子油が用いられていた。これに含まれるヒドノカルプス酸チョールムーグラ酸という不飽和環状脂肪酸にライ菌の成長阻害作用があるためである。搾油直後には白色の軟膏様の性情を示し無味無臭であるが、次第に黄色に変化して特有のにおいと焼きつくような味を生じ、これ自体、あるいは有効成分の脂肪酸のエチルエステルを注射薬として用いた。しかし、効果が乏しくハンセン病は不治の病とされていた。
1941年にアメリカのファジェット(Guy Faget)は、もともと結核治療薬として開発された「プロミン」(商品名)を患者に実験的に使用を開始した。プロミンは、ジアフェニルスルホン(DDS: Diamino Diphenyl Sulfone)に、ブドウ糖と亜硫酸水素塩を縮合させて水溶性にした化合物である。その後、1943年にハンセン病に対するプロミン療法がアメリカの医学雑誌で紹介された。しかし、プロミンは毒性が強く注射製剤のみの使用に限られるという欠点があった。そのため、これを精製して有効成分(DDS )のみを取り出したものが作られた。ダプソン(Dapson)(商品名:ダイヤゾン・プロミゾール)と呼ばれ、経口投与も可能である。
日本は当時、太平洋戦争の戦時中であったため、「プロミン」の情報は、中立国スイスからドイツの潜水艦によって伝えられた。戦後の1946年、東京大学薬学部教授の石館守三が「プロミン」の合成に成功し、1947年には、日本癩学会でプロミン治療に関する研究発表が行われた。よって、アメリカの発表から4年も経って、やっと国内のハンセン病患者が「プロミン」という特効薬について知ることとなる。その後、厚生省は各療養所に薬を配布するが、療養所幹部の中には効果に懐疑的であったり隔離政策の崩壊を危惧するなどの理由で使用制限され、患者の手元にはなかなかいかなかった期間がある。そして、1949年より予算が計上され、少しずつ薬が普及していった。
現在は、そのジアフェニルスルホン(DDS)(商品名:レクチゾール・プロトゲン)に加え、クロファジミン(CLF)(商品名:ランプレン)とリファンピシン(RFP)(商品名:リマクタン・リファジン)の3者を併用する多剤併用療法(MDT)が治療の主体である。多剤併用療法を基本とする理由としては薬剤耐性菌を予防する意味があり、同じ抗酸菌の一種である結核の治療も同様の多剤併用療法が行われる(使用薬剤は異なる)。なお、世界保健機関(WHO)では、菌数による病型分類を採用しており、MB(multibacillary, 多菌型)とPB(paucibacillary, 少菌型)の2種類に分けて投与量・治療期間を決定する。(MBのほとんどはL型・B群、PBのほとんどはT型・I群に相当する)。しかし、このWHOの採用する分類による治療は、コストパフォーマンスを重視しており不十分だということと、短期に大量投与を行う方が薬剤耐性菌の出現を防止できるという意見もあり、ハンセン病の専門家でもWHOの分類に基づいた治療を行っていないことが多い。最近では、オフロキサシン(OFLX)、クラリスロマイシン(CAM)、ミノサイクリン(MINO)なども有効であることが分かり、薬剤耐性検査を施行した上で多剤併用療法に併用されることも多い。よって、ハンセン病はによって完治できる病気となった。
らい反応など強い反応が生じた場合は、通常の治療に加えて次のような治療も必要となる。1型らい反応に対しては大量ステロイド、2型らい反応にはサリドマイド・ステロイドも使用されることがある。
ハンセン病において最も後遺症などの問題となるのは、末梢神経障害である。そのため末梢神経障害を残さないようにするための治療が必要といえる。そのために重要なことは早期発見・早期治療である。急性の神経炎を起こした場合でも、副腎皮質ホルモン(ステロイド)の投与などの治療により回復する場合も多く、神経減圧術を行うこともある。
もし不幸にして障害が起こってしまった時には、それを少しでも軽くなるよう努め、手術を用いてでも機能の回復をはかるといった取り組みが行われる。これを、障害予防(POD: prevention of deformity)・障害悪化予防(POWD: prenention of worsening deformity)と呼ぶ。不適切な治療の結果や、当時、治療薬が十分に確保されていないために、後遺症を残して療養所に入所している方が多く存在し、ハンセン病を発症している人がほとんどいない現在は、このPOD、POWDがハンセン病治療の重要な根幹となっている。ハンセン病患者は知覚麻痺により熱傷や外傷を受けやすくなり、これらは容易に感染や瘢痕形成へとつながってしまう。そのため、本人に十分な注意を喚起する必要があると同時に、知覚が無い状態でも熱傷や外傷が起こらないような日常生活の改善を行ったり、装具などを使い外傷の予防をすることも重要である。また拘縮に関してもリハビリテーションを繰り返し実行させることが、重要といえる。これからのハンセン病医学では、菌の有無だけではなく、いかに障害を残さず治癒させるかということと、障害が起こった場合の経過・対応が重要といえる。

[編集] 日本における差別と補償の歴史

[編集] 差別の原因

(参考写真)1886年に撮影された24歳の急性期らい腫型患者。現在は薬物治療が確立されたため、重度の病変が残ることはない。このような外見上の特徴も差別の原因となったと考えられる。  但し、日本における重症らい腫らい患者の特徴の一つはらい性脱毛で、この写真とは印象は異なる。
ハンセン病患者に対する「差別」は、いろいろな原因が絡み合って生じたものである。
外見上の特徴から、伝統的な穢れ思想を背景に持つ中世以来からの宗教観により神仏により断罪された、あるいは前世の罪業因果を受けた者の罹る病と思われていた。
「ハンセン病は、感染元がらい菌保有者との継続的かつ多頻度に渡る濃厚な接触が原因であるという特徴がある」「非常に潜伏期が長いため感染症とは考えにくい」「政府自らが優生学政策を掲げた」ことから、「遺伝病」であるとの風評が広められた。そのため、幼児に対する性的虐待近親相姦などを連想させ、偏見が助長された。
「ハンセンにより感染症であることが証明されても、当初は治療が困難を極め不治の病であった」という理由で、感染に対する恐怖感から差別・偏見が助長された。
政府も隔離政策の推進のために、ハンセン病患者やその家族に対する差別を看過し続けた。

[編集] 法制・強制隔離の歴史
1897年ベルリンで第1回ハンセン病国際会議が開かれ、「ハンセン病は感染症だから隔離する」と決められたが、その隔離については病状に応じて行う相対的隔離を原則としていた。そして、日本でも予防法の制定への気運が高まり、1907年(明治40年)に「癩予防ニ関スル件」がはじめて制定された。しかし、日本ではその原則は反映されず、その内容は放浪患者の救済・取り締まりを目的とするという非科学的非人道的なものであった。この法律の下、全国に5ヶ所の療養所(強制収容所)を設けた。ちなみに、その療養所の所長は、現在のように医師ではなく、警察官上がりの官僚がほとんどであった。ただし、例外的に、九州各県連合立の第5区九州らい療養所では、1909年に医師である河村正之が初代所長に就任した。
1914年(大正3年)、医師である光田健輔が公立癩療養所全生病院医長に就任し、患者懲戒検束権といって、各施設内に監房を作り所長の一存で患者を投獄できるようにした。1938年には、群馬県栗生楽泉園に特別病室の名の牢獄が設置された。全国から患者が送られ冬季は-20度という環境におかれ、多数の死亡者が続出した。 その一方、患者懲戒検束権は完全に否定的な面があるわけではない。ハンセン病患者が犯罪を犯した場合には、刑務所に入らず療養所に収容し刑を免れることがあった。その後の1953年には、患者・職員は患者懲戒検束権を認め、熊本県の菊池恵楓園に癩刑務所が設置された経緯もある。[2]
光田健輔は1915年、入所患者の結婚の条件として男性に断種、女性には中絶、堕胎を強要、さらに施設運営のための強制労働の強要をさせた。なお、違法な強制人工妊娠中絶が横行し、患者が出産した新生児を職員が殺害したとする証言から次々に実態が明らかになりつつある。しかし、依然として謎な部分も多い。このときの胎児や新生児の遺体とみられる標本が全国に115体保存されていることが厚生労働省により設置された第三者機関、「ハンセン病問題検証会議」によって2005年1月27日報告され、検証作業が提議されている。
1931年(昭和6年)、光田健輔の尽力により「癩予防法」が制定された。それは従来の法律を改悪したものであり、感染の拡大を防ぐため全患者を療養所に強制的に入所させる政策(強制隔離政策)が主目的の内容であった。
その間、国民による差別はエスカレートしていった。
1929年(昭和4年)に無らい県運動が起こった。それは、○○県かららいを無くそうという運動であり、患者を摘発し強制収容させるものであった。その強引な患者の摘発は患者本人だけでなく家族の人権まで侵すほどのものであった。ちなみに、無らい県運動を初めて行い達成したのは鳥取県である。その他、積極的だった県は、福岡県・山口県・宮城県・富山県・岡山県・埼玉県・愛知県・三重県などがある。
1931年(昭和6年)、貞明皇后からの下賜金により「癩予防協会」が発足。会長は渋沢栄一であった。また、貞明皇后の誕生日、6月25日を中心に癩予防デーを設定(現在は、「ハンセン病を正しく理解する週間」となり、差別や偏見のない社会を推進する目的に変わっている)し、ハンセン病患者を日本から根絶する呼びかけを行った。そして、全国的な無らい県運動を推進した。
1949年、厚生省の発令で第2次無らい県運動が起こる。
その結果、それに関連して多数の事件も起きている。
無らい県運動の高まりにより、強制収容者が増加。各療養所は定員オーバーとなり、療養所の環境は劣悪になっていった。1936年(昭和11年)には、光田健輔が所長を務める岡山県の長島愛生園で暴動が勃発した。(これを長島事件という。)光田健輔は暴動の首謀者として50名をでっちあげた。
 1940年(昭和15年)、熊本市本妙寺周辺の患者部落に、警官や療養所の職員が襲撃し、患者157人が検挙される事件が起こる。この事件を熊本県本妙寺事件ともいう。
 1941年(昭和16年)、京都大学皮膚化学特別研究室主任の小笠原登が、強制隔離政策反対の意見を日本らい学会で発表したところ糾弾される事件が起きた。
 1951年(昭和26年)に発生した藤本事件では、犯人として逮捕された藤本松夫がハンセン病に罹患していたので公正な裁判を受けられず、冤罪の疑いが濃厚なままで死刑に処された。
 1951年(昭和26年)に山梨県においてらい家族一家九人心中事件が起こった。それ以外にも1950年(昭和25年)には熊本、1983年(昭和58年)には香川の各県で一家心中(含む未遂)事件など、多数の悲劇的な事件を生んでしまった。
その後1953年(昭和28年)に、癩予防法から「らい予防法」に改定された。しかし、それは従来の癩予防法による強制隔離政策を踏襲するものであり、療養所の入所者に対する待遇は全く変わらなかった。世界的には1956年にローマ宣言が採択され、らい患者の救済と社会復帰の推進がうたわれたり、1958年には東京で開かれた第7回国際らい学会議で強制隔離政策をとる政策を全面的に破棄するよう批判されたが、国は全く聞き入れようとしなかった。「らい予防法」に対する抗議のため、菊地恵楓園の患者が作業放棄闘争を起こした。各園でも次々に、作業放棄を行う事件が起こった。一方、琉球政府は1961年「ハンセン氏病予防法」を公布し、外来医療・在宅医療の推進を測る政策がとられていた(本土復帰後も実施)。

[編集] らい予防法廃止以後
「らい予防法」は1996年(平成8年)4月1日に施行された「らい予防法の廃止に関する法律」によってようやく廃止された。一般の病院診療所健康保険で治療できるようになった。
1998年国立ハンセン病療養所(星塚敬愛園・菊池恵楓園)の入所者13名(平均年齢は当時71才)が国を相手取り「『らい予防法』違憲国家賠償請求訴訟」を熊本地裁に提訴した。2001年(平成13年)5月11日には、厚生省、国会の責任を認める原告勝訴の判決が下った。その際、国は控訴を断念し、国は責任を認めて謝罪し、全国の新聞に二度にわたって謝罪広告を掲載した。そして、元患者や遺族に補償金が支払われることとなり、「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」が制定された。
また最近では、ハンセン病に対する理解とハンセン病患者に対する国民の意識が変わり、ハンセン病患者やその家族に対する差別は緩和されてきた。しかしその一方で、ハンセン病元患者のホテルへの宿泊を拒否するなどの事件が、その後も度々起きており差別が完全になくなったわけではない。
元患者が金沢市内のホテルで宿泊を断られた報道があり、石川県2001年7月5日付けで、「ハンセン病は『伝染性の疾病』には該当しません。」という内容の通達を出したことがある。
2003年11月、療養所入所者のアイレディース宮殿黒川温泉ホテルへの宿泊が拒否された問題(ハンセン病元患者宿泊拒否事件)に対しても、療養所やホテルを所轄する厚生労働省は、「ハンセン病について旅館業法第5条第1号及び公衆浴場法第4条にいう『伝染性の疾病』には該当しません。」と明記した通達を出した。

[編集] 海外の療養所への補償

[編集] ハンセン病補償法訴訟
2001年5月11日、熊本地裁は「『らい予防法』違憲国家賠償請求訴訟」の判決で国の隔離政策の継続は違憲であると判断した。これを受けて小泉首相は5月23日、控訴しないことを決定し、6月22日には直ちにハンセン病補償法(「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」)が成立した。対象とされる元患者らには800万~1400万円の賠償金が支払われることになったのである。
しかし、この補償法は、補償の対象についての細かいことは「厚労省告示(厚生労働省告示第二百二十四号)」に定めることにしていた。その「告示」には、日本国内の国立・私立の療養所や、米軍占領下の琉球政府が設置した施設が列挙してある。
しかし、戦前まで日本の植民地であった韓国と台湾に建てられ、同様に運営がなされていた二つの施設(韓国小鹿島(ソロクト)更生園―現・国立小鹿島病院、台湾楽生院―現・楽生療養院)については明示していなかった。
そこで、この二つの療養所の入所者(以後「原告側」と略す)はハンセン病補償法による補償をするようにと日本政府に請求した(2003年12月25日に小鹿島厚生園・合計117名、2004年8月23日に台湾楽生院25名)。ところが日本政府(厚生労働大臣)は「小鹿島や楽生院は補償法の言う国立療養所には当たらない」として、その補償請求を全て棄却した(小鹿島は2004年8月16日、楽生院は同年10月26日)。
そこで、原告側はこの棄却処分(不支給決定)の取り消しを求めて相次いで(小鹿島は2004年8月23日に、楽生院は同年12月17日に)東京地裁に提訴した。そしてその判決が2005年10月25日言い渡されたが、判決は真っ二つに分かれた。小鹿島は棄却処分を取り消さない(訴えを認めない=補償法による補償はしない)、楽生院は棄却処分を取り消す(訴えを認める=補償法による補償をする)、ということになったのである。
これを受けて小鹿島の原告らは10月26日、棄却処分を取り消さないとした25日の東京地裁判決を不服として東京高裁に控訴した。また川崎厚生労働相は2005年11月8日の会見で、棄却処分を取り消すとしたした台湾訴訟について東京高裁に控訴することを正式に表明した。
その後原告側は台湾訴訟の控訴の取り下げを求めると共に、両訴訟の政治的判断による早期解決を求める活動を進めた。この間にも高齢の原告団の中には、亡くなる人が続出していて、一刻も早い解決が必要な状態であった。
その後、与党では補償額を国内入所者の水準に合わせて「一人800万円」とするハンセン病補償法の改正案を、2006年1月20日からの通常国会に提出する方針を決め、一方、厚生労働省は(韓国、台湾の)ほかにパラオ、サイパン(米国)、ヤップ(ミクロネシア連邦)、ヤルート(マーシャル諸島)の4地域についても調査をし、必要に応じて追加するという方向性を打ち出した。
原告側弁護団は上記与党の改正案を受け入れる旨の声明を発表、政府の迅速な対応を求めていたが、同年1月31日改正案は衆院本会議で可決、続いて2月3日参院本会議で全会一致の可決を見、2月10日「改正ハンセン病補償法(ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律―平成18年2月10日法律第2号)」が成立するにいたった。
これにより、楽生院は合計28名全員(当初の25名に3名増加した)に補償金が支給された。しかし小鹿島は入所者の資料が散逸しているため、入所年月の特定などが困難を極め、2007年7月現在では、441名(提訴当初の117名が増加した)中222名に支給されるに止まっている。
2007年3月28日、厚労省はパラオ、ヤップ(ミクロネシア連邦)、サイパン、ヤルート(マーシャル諸島共和国)の各療養所を新たに補償の対象施設に指定すると発表した。現地調査や当時の文献から、患者を強制隔離していた事実が確認できたためで、厚労省は4月上旬から補償の申請を受け付けるとした。

[編集] 関連事項
この病気の有名人としては、戦国時代武将大谷吉継がいる。また、斉藤義龍も患者であるという説もある。
第二次小泉改造内閣の法相・南野知惠子は2005年1月11日の閣議後会見で島根県平田市(現在 出雲市)で前日に開かれた島根県議の新年会でハンセン病について言及した際、旧病名の「らい」との表現を繰り返したことを明らかにし、「差別や偏見のつもりはなく、看護(職)の経験から、つい長年使っていた言葉が出た。本当に申し訳ない」と謝罪した。
関連人物
ダミアン神父 - ハワイのモロカイ島でハンセン病患者のケアに生涯をささげたカトリック司祭。
北条民雄
井深八重
大谷吉継 - 戦国時代の武将。
神谷美恵子

[編集] 関連作品
砂の器
いのちの初夜
わたしが・棄てた・女 - ハンセン病を一部テーマに盛り込んだ遠藤周作の小説(1963年作品)。
グイン・サーガ - 「豹頭の仮面」改訂版発行の経緯を参照(小説)
信ぜざるものコブナント』(ステファン・ドナルドソン) - ハンセン病の主人公による異世界ファンタジー

[編集] 関連事件
ハンセン病元患者宿泊拒否事件
藤本事件

[編集] 医学関連
皮膚科学
サリドマイド - 皮膚炎の治療に使用。
丸山ワクチン

[編集] その他
乞食谷戸

[編集] 外部リンク
厚生労働省「ハンセン病に関する情報ページ」
財団法人日弁連法務研究財団『ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書』
国立感染症研究所
ハンセン病市民学会
ハンセン病のリンク集
モグネット
年表 日本のハンセン病史

[編集] 参考文献
ハンセン病政策の変遷 沖縄県ハンセン病予防協会創立40周年記念出版 平成11年3月発行
遥けくも遠く ハンセン病療養所在園者の聞き書き集 朝日新聞大阪厚生文化事業団・編
エッセンシャル 微生物学

[編集] 出典
^ IDSC 感染症情報センターより [1]
^ ハンセン病問題会議に関する検証会議 最終報告書より抜粋

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2007年8月23日(木)「しんぶん赤旗」yori

2007年8月23日(木)「しんぶん赤旗」
ハンセン病
療養所の医療充実を
07年度対策協 元患者ら要求
 ハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会(全原協)、同弁護団、全国ハンセン病療養所入所者協議会の統一交渉団と厚生労働省との年一回開かれる二〇〇七年度「ハンセン病問題対策協議会」が二十二日、東京都内で開かれました。
 謝罪・名誉回復、社会復帰・生活支援、在園保障、真相究明、療養所の将来構想の五つの課題について全原協などが「統一要求書」を提出して協議しました。
 今年の特徴は、全国十三カ所の国立ハンセン病療養所の在園者数が三千人を切り、平均年齢も七十九歳と高齢化が進む中で、「終生の在園保障と社会の中で生活するのと遜色(そんしょく)のない水準を確保する」課題について深刻な実態を踏まえて議論されたことです。
 とくに、医療体制が悪化し、全国十三の療養所の医師定員数は百四十四人ですが、十五人が欠員となっています。静岡県の駿河療養所は、常勤する内科医が一人もいないために、日常の治療に支障をきたし、「夜も安心して眠れない」との不安が入所者からでています。
 統一交渉団は、「命を脅かし施設の破壊につながる」問題として、医師欠員を直ちに補充すること、寝たきりや入院治療を要する「不自由者棟」に副看護師長を配置すること、リスクマネジャーの欠員のでている三つの療養所(駿河、奄美、宮古)に速やかに配置すること―を要求しました。
 厚生労働省側は「現実的対応をしていく」とこたえるにとどまりました。全原協の谺(こだま)雄二会長は「今日の交渉は不満足極まりない。私たちは国によってどのような歴史を歩まされてきたのか。高齢化して風邪をひいただけで満足な治療を受けられず認知症になってしまう入所者もいる。国は法的責任を認めたわけで、それにふさわしい施策をしなくてはならない」と厳しく国の対応を批判しました。

2007年8月22日水曜日

四季のつぶやき№312

━━━━━━━━━ 20078/20 第312号 ━━━━━━━愛┃知┃西┃三┃河┃か┃ら┃ 四季のつぶやき 週刊月曜日━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛ ☆編集責任者・桜井善行 メルマガ版善行さんの別荘  Eyosiyuki@hm.aitai.ne.jp  HP http://www.hm.aitai.ne.jp/~yosiyuki/ にもぜひ訪問を!━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━   ■猛暑から熱波へ。夏はあなどれません。短期間にこんなに暑くなったのは珍しいです。熱中症に気をつけてください。それでも昨日は恵みの雨が降りました。■メルマガを最適な状態でお読み頂くために、ご使用メールソフトのフォント設定を「MS ゴシック」「等幅ゴシック」などにご設定ください。------------------------------------------------------     ▼四季のつぶやき(通算352)  2007・8・20  ★日本の最高気温はこれまで山形市の40.8度でした。この記録は長く破られることはありませんでした。この山形市に続いて高かったのが名古屋市の39.9度であり、この1位2位の記録は長く破られませんでした。だからある時期まで、名古屋市の夏はもっとも暑い都市だといわれてきました。★ところが、近年様子が変わりました。聖域だった40度の壁も何回となくクリアする事例を目にしました。名古屋のナンバー2の座も過去のエピソードになりました。地球温暖化の影響で、やがては記録は破られるということは予想されていました。ただそれが、いつどこでということまでは断定されてはいませんでした。★ところが意外にも早くその日がやってきました。8月16日、岐阜県多治見市と埼玉県熊谷市で40.9度を記録しました。この夏に実現した意外さと、沖縄や九州・四国などの南国ではなく、中部から東日本でした。でも過去のデータからはその兆候もありました。両市とも近年に39.9度を記録しています。★また近年40度以上を記録した都市には、酒田、甲府、越谷、佐久間など盆地にあるところが多くこれはフェーン現象の結果なのでしょう。北海道でも猛暑日があったことを思うと日本列島の暑さと過ごしにくさは、温帯地方では突出してますね。これから温暖化やヒートアイランドの影響を考えると、未来の夏の姿には末恐ろしくなります。▼今週のお気に入り▼気温の広場 http://page.freett.com/kion/index0.htmlこのサイトは、毎朝の新聞に載っている前日の各地の最高最低気温を、1984年からずっとLotusでデーターを取り続けていたらかなりの量になってきたので、地域別の最近までの気候傾向がわかるのではないかと表やグラフにまとめています。▽▽▽編集後記▽▽▽Eメールyosiyuki@hm.aitai.ne.jp
HP \u003ca onclick\u003d\"return top.js.OpenExtLink(window,event,this)\" href\u003d\"http://www.hm.aitai.ne.jp/~yosiyuki/\" target\u003d_blank\>http://www.hm.aitai.ne.jp/\u003cwbr /\>~yosiyuki/\u003c/a\>  にも訪問を。\u003cbr /\>\u003cbr /\>◎週刊月曜日愛知西三河から四季のつぶやき\u003cbr /\> のバックナンバー・配信停止はこちら\u003cbr /\>⇒ \u003ca onclick\u003d\"return top.js.OpenExtLink(window,event,this)\" href\u003d\"http://blog.mag2.com/m/log/0000074346/\" target\u003d_blank\>http://blog.mag2.com/m/log\u003cwbr /\>/0000074346/\u003c/a\>\u003cbr /\>\u003cbr /\>━【まぐまぐ!からのお知らせ】━━━━━━━━━━━━━━━\u003cwbr /\>━━━━━━\u003cbr /\> ◆高速道路代やガソリン代で、損をしていませんか?◆\u003cbr /\> カーライフカードを利用すれば、ETCや給油でポイントが貯まる\u003cwbr /\>!使える!\u003cbr /\> サービスいろいろ♪詳しくはこちら⇒ \u003ca onclick\u003d\"return top.js.OpenExtLink(window,event,this)\" href\u003d\"http://car.mag2.com/carlifecard/\" target\u003d_blank\>http://car.mag2.com/carlifecar\u003cwbr /\>d/\u003c/a\>\u003cbr /\>━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━\u003cwbr /\>━━━━━━\u003cbr /\>\u003cbr /\>\u003c/div\>",0]
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  編集者 桜井 善行HP http://www.hm.aitai.ne.jp/~yosiyuki/  にも訪問を。◎週刊月曜日愛知西三河から四季のつぶやき のバックナンバー・配信停止はこちら⇒ http://blog.mag2.com/m/log/0000074346/

2007年8月21日火曜日

世帯別自動車保有台数

◆自家用乗用車(軽を含む)の普及状況調査、世帯保有数が初の前年割れ| 今年3月末現在の1世帯当たり保有台数は1.107台となり、前年比で0.005台減 少した。世帯当たりの保有台数が減少したのは、自動車検査登録情報協会が 1975年に集計を始めて以来初めて。3月末の自家用乗用車保有台数は0.7%増 の5723万6620台だが、世帯数の増加率を下回った。http://www.47news.jp/CN/200708/CN2007082001000514.htmlhttp://www.sankei.co.jp/keizai/sangyo/070820/sng070820002.htmhttp://www.business-i.jp/news/ind-page/news/200708210006a.nwc◆軽自動車の保有台数、100世帯あたり47.9台となり、過去最高を更新| 全国軽自動車協会連合会によると、2007年3月末時点の軽自動車の100世帯 あたりの普及台数は、前年同期比で1.1台多い47.9台に。保有台数は前年 比で85万9485台増えて2475万6432台となり、31年連続の増加に。| 都道府県別にみると、鳥取が最も多く95.2台で、次いで島根(93.4台)、 佐賀(93.2台)、長野(92.3台)、山形(91.5台)など。最も少なかったのは 前年に続いて東京(10.7台)。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070820-00000112-yom-bus_allhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070820-00000088-jij-bus_allhttp://www.news24.jp/91133.html

2007年8月20日月曜日

亡備録から

<数字データ備忘録>281 中国の自然災害 今年1-7月 2億8000万人が被  災    中国民生省     赤旗8月9日2 中学不登校35人に1人 文科省調査 小中5年ぶり  増     赤旗8月10日  中学不登校最多2,86% 「いじめ回避」増か 学校  基本調査     朝日8月10日3 安倍内閣、不支持61%   時事通信社世論調査     赤旗8月11日4 社会保障2200億円圧縮 概算要求基準を閣議了  解     同上5 食料自給率 13年ぶり40%割れ   農水省     朝日、赤旗同上6 GDP減速 年0,5%増 4-6月デフレは改善     朝日8月13日7 払えない 治療費 国立病院で46億円 「困窮」理  由9割 厚労省調査  国民年金 納付率低下66% 「高すぎる」の声 社  保庁発表     赤旗8月12日8 廃農加速 販売農家10年で75万戸減   農水省農業構造動態調査より     赤旗8月15日9 自衛隊員6人自殺 海外派兵で抗マラリア薬投与  抑うつ・不眠 副作用   日本共産党小池参院議員質問主意書に対する   政府答弁書     赤旗8月16日10 閣内に「靖国自粛」 今年は1人 政権求心力低  下に配慮     朝日8月16日11 東証1万6000人割れ 一時600円超す下げ     朝日8月16日夕刊12 40,9度 国内最高74年ぶり 埼玉・熊谷 岐阜・   多治見      朝日8月17日13 テレビ難民 地デジ移行 あと4年 数百万人?み   られない     赤旗8月19日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ どこかに美しい人と人との力はないか 同じ時代をともに生きる したしさとおかしさとそうして怒りが 鋭い力となって たちあらわれる   茨木のり子 「六月」  

2007年8月16日木曜日

最高気温


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防災気象情報


気象統計情報


8月16日は記録的な日になりました。多治見市と熊谷市では観測史上最高の40・9度を記録しました。最近の温暖化現象から、この日が来ることは予想されていましたがこの2市だったのは意外でした。

ホーム > 気象統計情報 > 過去の気象データ検索  > 歴代全国ランキング
歴代全国ランキング
凡例
観測史上の順位
最高気温の高い方から
順位
都道府県
観測所
観測値
備考

起日
1
山形県山形市 *
40.8
1933年7月25日
2
和歌山県
かつらぎ
40.6
1994年8月8日

静岡県
天竜
40.6
1994年8月4日
4
山梨県
甲府 *
40.4
2004年7月21日
5
群馬県
上里見
40.3
1998年7月4日

愛知県
愛西
40.3
1994年8月5日
7
群馬県
館林
40.2
2007年8月15日

千葉県
牛久
40.2
2004年7月20日

静岡県
佐久間
40.2
2001年7月24日

埼玉県
越谷
40.2
1997年7月5日

愛媛県
宇和島 *
40.2
1927年7月22日
12
山形県
酒田 *
40.1
1978年8月3日
13
群馬県
前橋 *
40.0
2001年7月24日
14
岐阜県
多治見
39.9
2001年8月1日

埼玉県
熊谷 *
39.9
1997年7月5日

埼玉県
鳩山
39.9
1997年7月5日

大阪府
豊中
39.9
1994年8月8日

山梨県
大月
39.9
1990年7月19日

山形県
鶴岡
39.9
1978年8月3日

愛知県
名古屋 *
39.9
1942年8月2日

安倍ちゃんの目線

<安倍首相>「カメラ目線」やめ、「対話スタイル」へ
8月16日20時8分配信 毎日新聞
 安倍晋三首相が首相官邸で記者団のインタビューを受ける際、テレビカメラをじっと見つめる「カメラ目線」をやめて、質問した記者にも顔を向ける「対話スタイル」へ脱皮を図っている。 変化が表れたのは参院選の投開票日から2日後の7月31日夜。初めは理由を問われても否定していたが、16日「確かに肩に力が入っていた時もあったのかもしれない。どのような話の仕方をすれば、より国民に伝わるか考えていきたい」と語り、参院選惨敗を受けた「反省」の一つと認めた。 首相は6月に出演したラジオ番組で「カメラを見て話をした方が国民に説明する上でいい」と話したところ、演出家のテリー伊藤さんから「全部同じだと単調。質問が面白いと思ったら向いてあげたら」と指南されていた。【近藤大介】

2007年8月15日水曜日

ロボット再登場

案内ロボ トヨタが開発 ミッドランドスクエアには年明け登場
2007年8月14日 朝刊
トヨタが開発した人型ロボットのベースになったパートナーロボット「DJロボ」
 トヨタ自動車は、オフィスや展示施設の受付で接客、案内業務をこなす人型ロボットを開発した。今月末から愛知県豊田市の本社敷地内にある展示施設「トヨタ会館」を皮切りに、トヨタの主要施設に順次設置する。
 案内ロボは、トヨタが愛・地球博(愛知万博)に出展したパートナーロボット「DJロボ」をベースに開発。身長は一メートル強で、小回りのきく二輪走行タイプ。車輪を目立たないよう小型化し、より人間に近い体形を目指した。「こちらへどうぞ」「きょうは暑いですね」と話すなど簡単な会話機能も持たせた。
 ロボットを設置するトヨタ会館は自動車の仕組みや技術などを紹介する施設で、一般の来場者を含め年間四十万人以上が訪れる。案内カウンターで女性職員らとともに、来場者への応対や館内情報などを提供する。希望する展示ブースまで走行しながら案内することもあるという。
 年明けにも名古屋駅前の超高層ビル「ミッドランドスクエア」二十四階にあるトヨタ名古屋オフィスの受付に設置。「世界のトヨタ」の顔として、国内外から商談に訪れるビジネス客の応対をすることになりそうだ。
 受付や案内をこなすロボットは、ホンダの「ASIMO(アシモ)」や三菱重工業の「wakamaru(ワカマル)」などがある。トヨタは後発ながら独自の制御技術により、接客時の素早い反応やスムーズな動きを可能にしている。当面は自社内での利用にとどめ、販売は計画していないという。

2007年8月13日月曜日

参議院選挙データ

大地実です。 データは正確を期したつもりですが、途中版につき、間違いがあればご指摘ください。訂正してより良いものにしたいと思っていますので。 この国の民主主義の進展のためには、自由で独立した市民間での情報の相互交流・共有化が重要と考え、実践活動をしていますので、  転送・転載自由です。               記07年参院選 結果 データ(途中版)まず、全般的な結果はどうであったのかについて■参院選 121改選議席の結果            自公与党 自民は37名しか当選(選挙区23、比例代表14)できず、非改選議席を合わせても83議席となった。(候補者の53名が落選したので自民党内での安部批判は高まる。自民党結党以来の参院議長独占は崩れた。) ※選挙前議席110 公明は9名の当選(選挙区2、比例代表7)で3減、非改選議席を合わせて20議席となった。 ※選挙前議席23※公明の不敗神話が崩された。(不正選挙監視諸ネットの活動や汚職のオンパレードで腐敗した自公両党に対しての落選キャンペーンがかなり奏功した。この動きを今後も大きくしていくことが肝要) 公明党も、選挙区で2勝3敗となり、比例と合わせて9議席しか取れず、これまた過去最低となった。選挙区で公明党の公認候補が落選したのも、1989年以来18年ぶりのことで、創価学会の組織力で、確実に当選するという「不敗神話」も、崩れた。  全議席でも、与党は自公合わせて103議席で過半数を大きく割り込んだ。※選挙前議席133            野党               民主は60名(選挙区40、比例代表20)が当選(28増)で大勝、非改選議席を合わせて109議席となり、単独でも自公与党を上回る参院第一党とった。 ※選挙前議席81共産は3名の当選(比例代表3)で2減、非改選議席を合わせて7議席となった。※選挙前議席9社民は2名の当選(比例代表)で1減、非改選議席を合わせて5議席となった。※選挙前議席6国民新党は2名の当選で増減なし、非改選議席を合わせて4議席となった。※選挙前議席4日本新党は新たに1議席(比例代表)を得た。※選挙前議席0諸派(9条ネットなど)は議席を得られなかった。無所属は7名(選挙区)当選した。※内訳は、まだ調べていません。 知っている方、情報をお知らせください。比例区の当選者数・得票数・投票率 ※投票率58.63%民主(20) 2325万6242  39.48%自民(14) 1654万4696  28.08%公明(7)   776万2324  13.18%共産(3)   440万7937   7.48%社民(2)   263万7716   4.48%日本(1)   177万0697   3.01%国民(1)   126万9220   2.15%9条(0)    27万3755   0.46%その他 ※まだ調べていません。情報提供を!

311

━━━━━━━━━ 20078/13 第311号 ━━━━━━━
愛┃知┃西┃三┃河┃か┃ら┃ 四季のつぶやき 週刊月曜日━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛ ☆編集責任者・桜井善行 
メルマガ版善行さんの別荘  Eyosiyuki@hm.aitai.ne.jp  HP http://www.hm.aitai.ne.jp/~yosiyuki/ にもぜひ訪問を!━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 
■やっぱり夏でした。遅まきながら猛暑に悩まされていますが
いかがお過ごしですか。くれぐれもご自愛を。
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▼四季のつぶやき(通算351)  2007・8・13  
★そこで思いつきで近隣の第3セクター体験をしようと思い、東に向か
いました。目的は天竜浜名湖鉄道の起点の新所原駅です。この駅は
東海道線の二川駅の隣です。ここから静岡県です。ふだんはあまり
気にならなかったのですが、ここから浜名湖の北側を回り、掛川まで
のローカル線です。
★かつてこの路線は、旧国鉄の二俣線と名付けられていました。しか
しモータリゼーションの荒波の影響をもろにかぶり、この路線も廃線対
象路線となり、なんとか第3セクターとして、国鉄の分割民営化の1年
前の1986年に再出発した経過があります。つまり、20年以上の歴史
があります。
★この路線のユニークさは、地元が残したいという熱意の表れか、各
駅に飲食店が内包されています。ある駅では和食だったり、またある
駅では麺類だったり、ある駅ではパンややレストランだったりです。新
所原の駅は鰻やでした。浜名湖産を売り物にしていたので鰻丼弁当
を注文したらまだ焼けていないとのこと。
★発車時間まで待とうとしたら、お店の人が列車まで持って行きます
よといいました。発車時刻5分前になるとお店の人がわざわざ社内ま
で持ってきてくれました。(笑)キップは片方だけ乗り降り自由な「道草
キップ」を買って、かくしてのんびりした列車旅がスタートしました。
・・・・続く

▼今週のお気に入り▼
天竜浜名湖鉄道  http://www.tenhama.co.jp/index.html
今回のメインテーマのサイトです。ぜひ訪問してあげてください。

▽▽▽編集後記▽▽▽Eメールyosiyuki@hm.aitai.ne.jp  
編集者 桜井 善行
HP http://www.hm.aitai.ne.jp/~yosiyuki/  にも訪問を。

◎週刊月曜日愛知西三河から四季のつぶやき のバックナン
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2007年8月10日金曜日

不登校の増加

以下全国不登校新聞社HPより

学校基本調査 不登校増12万6764人に中学生に占める割合は過去最高  8/10
 8月9日、文科省は学校基本調査、児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査の速報を発表した。速報によると、昨年度の「不登校」を理由とする長期欠席者数(年間30日以上)は12万6764人(前年度比4477人増)だった。不登校者数は1975年以来27年間増加し、その後、4年間微減を続けていたが増加に転じた。全児童に占める割合は1・17%。少子化の影響もあり、中学生に占める割合は2・86%と過去最高を記録した。 進む高学歴化・ニート層の減少  学校基本調査速報によると、小・中学校の在籍者数は1074万7420人(前年度比4万1524人減)であった。06年度の「不登校」による長期欠席者は、小学校が2万3824人で、全児童に占める割合は0・33%、中学校が10万2940人で、全生徒に占める割合は2・86%となった。長期欠席者数全体も昨年度に比べ9000人増加した。  今調査で過去最高を記録したのは、大学・短期大学の現役進学率51・2%、過去年度高卒者を含む大学・短期大学進学率53・7%などであった。例年、過去最高を記録していた大学院進学率は12%(0・1ポイント減)であったが、大学などへの現役進学率がはじめて5割を越えるなど、高学歴志向の高まりが見受けられた。  卒業後の進路だが、就職率は、高卒18・5%(0・5ポイント増)、大卒67・6%(3・9ポイント増)など上昇した。また「進学も就職もしていない者」(無業者、家事手伝い、起業準備を含む)の総数は15万3448人と前年比2万2096人減となった。内訳は中学卒1万4553人(96人増)、高校・専門学校卒、6万150人(6522人減)、大学・短大卒7万8745人(1万5163人減)、大学院卒1万2337人(497人減)。「進学も就職もしていない者」は、いわゆる「ニート」層の調査がはじまってから3年連続で減少した。 不登校理由きっかけは?  「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」によると、不登校をしたきっかけは、多い順に「本人の問題に起因」37・6%、「学校生活に起因」35・5%、「家庭生活に起因」18・5%となっていた。  不登校が継続している理由として、もっとも多かったのが「不安など情緒的混乱」31・7%、次いで「無気力」24・8%、もっとも少なかったのが「教職員との関係」0・9%だった。今回、きっかけ、継続理由に「いじめ」の項目が新設された。いじめを不登校のきっかけに選んだのは3・2%、継続理由は1%だった(※「継続理由」「きっかけ」は複数回答)。  また、適応指導教室などを利用し、学習指導要録上は出席扱いとなった児童生徒は1万7232人だった。そのうち、適応指導教室の利用者は1万6474人。指導要録上、出席扱いになったのは1万2789人で利用した77%が出席扱いとなった。一方、民間施設の利用者は2571人で、出席扱いになったのは771人だった。民間のフリースクールに通っている場合でも、学習指導要録上は校長裁量で出席扱いとなるが、学校基本調査上は欠席扱いとなっている。  「指導の結果、登校するようになった児童生徒」は3万8572人。このうち、「とくに効果があった学校の措置」として、一番多く選ばれたのが「電話をかける」「家庭訪問」などであった。  文科省は不登校の増加に対して「一概には言えないが、各県から『対応が十分でなかった』『家庭教育力の低下』『人間関係を不得手とする者の増加』などの声が寄せられた」との見解を示した。また、いじめ報道の影響については「『ムリに登校せず不登校を、という保護者が増えた』という指摘もあったが、学校から『いじめがあるなら行かなくてもいい』というメッセージを発してはいない。増加が、いじめ報道の影響によるものなのかはわからない」との回答にとどまった。 長期欠席も9000人増 病欠はピーク時より4万人減?  学校基本調査の速報によると、06年度の長期欠席者数の全体は小学校で6万1096人、中学校で13万5472人、合計19万6568人(8919人増)となっている。  不登校以外の理由別長期欠席者は、「その他」が2万1942人(2348人増)「病気」が4万7580人(2101人増)であった。  91年以降の調査によると、長期欠席者の推移は、91年から増加を続け、98年から01年まで22万人代を推移する。その後は減少をし始め、少子化の影響もあり、04年には18万人にまで減少した。しかし、現在は2年連続で増加に転じている。  この傾向は「不登校」「その他」も同傾向にある。「病気」に関しては、91年から97年までほぼ8万人から8万5000人のあいだで増減をくり返していたが、その後は減少を続け、04年には4万5000人となった。
 現在、発達障害やうつ病などの社会的認知が高まっている。こうした流れは、現場のニーズの高まりというより、「新しい病気をつくって、患者を増やしている」という指摘もある。しかし、学校基本調査では年間30日以上の「病欠」が、この7年間で4万人も減少した。  一方、調査上、「不登校」と「病気」の定義についても、あいまいな点が残っている。不登校を苦にし、うつ病と診断された場合などでは、「病気」か「不登校」か、どちらに判断されるのであろうか。この点について、文科省は「病気か、不登校か、判断は現場に任せているが、『病気』と『不登校』が重なる場合なども含め、実態が見えやすいようにしていきたい」と話した。
 
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2007年8月7日火曜日

平和への誓い

これも立派な内容です。どこかの国の総理の語る平和よりもずっと思いものがあります。

平成19年度「平和への誓い」
私たちは、62年前の8月6日、ヒロシマで起きたことを忘れません。
あの日、街は真っ赤な火の海となり、何もかもが焼かれてなくなりました。川は死者で埋まり、生き残った人たちは涙も出ないほど、心と体を傷つけられました。
目も鼻も口もわからないほどの大やけど。手足に突き刺さった無数のガラス。
あの日、ヒロシマは、怒りや悲しみのとても恐ろしい街でした。
これが原子爆弾です。これが戦争です。これが本当にあったことなのです。

しかし、原子爆弾によっても失われなかったものがあります。
それは生きる希望です。
祖父母たちは、廃墟の中、心と体がぼろぼろになっても、どんなに苦しくつらい時でも、生きる希望を持ち続けました。多くの犠牲の上によみがえった広島をもっと輝かせたいという思いで、原子爆弾によって焼け野原になった街をつくり直してきました。そして、今、広島は、自然も豊かでたくさんの人々が行き交う、笑顔あふれるとても平和な街となりました。

今、テレビや新聞は、絶えることない戦争が、世界中で多くの命を奪い、今日一日生きていけるか、一日一食食べられるか、そんな状況の子どもたちをつくり出していることを伝えています。
そして、私たちの身近なところでは、いじめや争いが多くの人の心や体を壊しています。
嫌なことをされたら相手に仕返しをしたい、そんな気持ちは誰にでもあります。でも、自分の受けた苦しみや悲しみを他人にまたぶつけても、何も生まれません。同じことがいつまでも続くだけです。

平和な世界をつくるためには、「憎しみ」や「悲しみ」の連鎖を、自分のところで断ち切る強さと優しさが必要です。そして、文化や歴史の違いを超えて、お互いを認め合い、相手の気持ちや考えを「知ること」が大切です。
途切れそうな命を必死でつないできた祖父母たちがいたから、今の私たちがいます。原子爆弾や戦争の恐ろしい事実や悲しい体験を、一人でも多くの人たちに「伝えること」は、私たちの使命です。
私たちは、あの日苦しんでいた人たちを助けることはできませんが、未来の人たちを助けることはできるのです。

私たちは、ヒロシマを「遠い昔の話」にはしません。
 私たちは、「戦争をやめよう、核兵器を捨てよう」と訴え続けていきます。
そして、世界中の人々の心を「平和の灯火」でつなぐことを誓います。
 

平成19年(2007年)8月6日
          こども代表 広島市立五日市観音西小学校6年 森  展哉
                広島市立東浄小学校6年     山崎 菜緒

平和宣言

昨日8月6日、広島の平和式典での秋葉市長の宣言は、例年にもまして格調の高いものでした。
記念に下にとどめます。平和宣言運命の夏、8時15分。朝凪(あさなぎ)を破るB-29の爆音。青空に開く「落下傘」。そして閃光(せんこう)、轟音(ごうおん)――静寂――阿鼻(あび)叫喚(きょうかん)。落下傘を見た少女たちの眼(まなこ)は焼かれ顔は爛(ただ)れ、助けを求める人々の皮膚は爪から垂れ下がり、髪は天を衝(つ)き、衣服は原形を止めぬほどでした。爆風により潰(つぶ)れた家の下敷になり焼け死んだ人、目の玉や内臓まで飛び出し息絶えた人――辛うじて生き永らえた人々も、死者を羨(うらや)むほどの「地獄」でした。14万人もの方々が年内に亡くなり、死を免れた人々もその後、白血病、甲状腺癌(こうじょうせんがん)等、様々な疾病に襲われ、今なお苦しんでいます。それだけではありません。ケロイドを疎まれ、仕事や結婚で差別され、深い心の傷はなおのこと理解されず、悩み苦しみ、生きる意味を問う日々が続きました。しかし、その中から生れたメッセージは、現在も人類の行く手を照らす一筋の光です。「こんな思いは他の誰にもさせてはならぬ」と、忘れてしまいたい体験を語り続け、三度目の核兵器使用を防いだ被爆者の功績を未来(みらい)永劫(えいごう)忘れてはなりません。こうした被爆者の努力にもかかわらず、核即応態勢はそのままに膨大な量の核兵器が備蓄・配備され、核拡散も加速する等、人類は今なお滅亡の危機に瀕(ひん)しています。時代に遅れた少数の指導者たちが、未だに、力の支配を奉ずる20世紀前半の世界観にしがみつき、地球規模の民主主義を否定するだけでなく、被爆の実相や被爆者のメッセージに背を向けているからです。しかし21世紀は、市民の力で問題を解決できる時代です。かつての植民地は独立し、民主的な政治が世界に定着しました。さらに人類は、歴史からの教訓を汲んで、非戦闘員への攻撃や非人道的兵器の使用を禁ずる国際ルールを築き、国連を国際紛争解決の手段として育ててきました。そして今や、市民と共に歩み、悲しみや痛みを共有してきた都市が立ち上がり、人類の叡智(えいち)を基に、市民の声で国際政治を動かそうとしています。世界の1698都市が加盟する平和市長会議は、「戦争で最大の被害を受けるのは都市だ」という事実を元に、2020年までの核兵器廃絶を目指して積極的に活動しています。我がヒロシマは、全米101都市での原爆展開催や世界の大学での「広島・長崎講座」普及など、被爆体験を世界と共有するための努力を続けています。アメリカの市長たちは「都市を攻撃目標にするな」プロジェクトの先頭に立ち、チェコの市長たちはミサイル防衛に反対しています。ゲルニカ市長は国際政治への倫理の再登場を呼び掛け、イーペル市長は平和市長会議の国際事務局を提供し、ベルギーの市長たちが資金を集める等、世界中の市長たちが市民と共に先導的な取組を展開しています。今年10月には、地球人口の過半数を擁する自治体組織、「都市・自治体連合」総会で、私たちは、人類の意志として核兵器廃絶を呼び掛けます。唯一の被爆国である日本国政府には、まず謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学び、それを世界に広める責任があります。同時に、国際法により核兵器廃絶のため誠実に努力する義務を負う日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり「ノー」と言うべきです。また、「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、平均年齢が74歳を超えた被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。被爆62周年の今日、私たちは原爆犠牲者、そして核兵器廃絶の道半ばで凶弾に倒れた伊藤前長崎市長の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げ、核兵器のない地球を未来の世代に残すため行動することをここに誓います。2007年(平成19年)8月6日広島市長 秋葉忠利

以上

四季のつぶやき№310

━━━━━━━━━ 20078/06 第310号 ━━━━━━━愛┃知┃西┃三┃河┃か┃ら┃ 四季のつぶやき 週刊月曜日━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛ ☆編集責任者・桜井善行 メルマガ版善行さんの別荘  Eyosiyuki@hm.aitai.ne.jp  HP http://www.hm.aitai.ne.jp/~yosiyuki/ にもぜひ訪問を!━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━   ■季節外れの台風の襲撃は人々を悩ませました。参議院選挙も大型台風の襲来並みにの破壊力がありました。この先はどうなるのでしょうか?いくつかのシナリオは予想されますが、それとは違った方向へ行くこともあるでしょう。■メルマガを最適な状態でお読み頂くために、ご使用メールソフトのフォント設定を「MS ゴシック」「等幅ゴシック」などにご設定ください。------------------------------------------------------     ▼四季のつぶやき(通算350)  2007・8・06  ★今年はJR発足20年だそうです。いわずとしれた、国鉄分割民営化から20年です。いろいろ意見はありますが、まあ列車の本数だけは増えました。青春18キップも健在です。しかしあれから20年、車窓からの風景も変わりました。★春にも、この18キップを使いました。このときは20周年ということで、5枚8000円でしたが、この夏はもとの値段になって、5枚1万1300円でした。それでも使い方によれば、十分にお得な使い方もありますから、近年ではヤングだけではなく、むしろシルバーの方々がグループで積極的に活用しているようです。★これはローカル線を利用するときに有効性があるようです。しかし、東海道線などの幹線を利用するときも、快速を有効に使うと早く移動ができます。先日も大阪を夕方5時に出発して刈谷についたのが、午後8時すぎでした。もう少し効率的な利用をするには時刻表の活用が不可欠でしょう。★とともにローカル線の旅もすてがたいものがあります。しかし20年前と光景が違うのは少なからぬ路線が廃線あるいは第3セクター化の憂き目にあっていることです。1つは新幹線の拡大により在来線が第3セクターかされてしまったことです。これは九州、東北、信越でみられました。もう1つは本当にローカルな鉄道が、廃線を防ぐために第三セクター化されたことです。それでも・・・・続く▼今週のお気に入り▼横見浩彦鉄道WEB http://yokotetu.net/このサイトは、鉄ヲタで有名な横見浩彦氏のものです。氏の超越した鉄道観にせまれるかも?▽▽▽編集後記▽▽▽Eメールyosiyuki@hm.aitai.ne.jp  編集者 桜井 善行HP http://www.hm.aitai.ne.jp/
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2007年8月4日土曜日

不登校の増加

●学校基本調査:不登校児童・生徒が増加 小学生1706人、中学生6152人 /愛知
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070731-00000026-mailo-l23 ◇昨年度県学校基本調査速報  県内の小学校で昨年度、不登校を理由に長期欠席(30日以上欠席)した児童が過去最多の1706人に上ることが、県の学校基本調査速報で明らかになった。中学校でも不登校の生徒数は6152人に上った。最新就職情報は・・・就職ランキングいずれも01年をピークに減少傾向にあったが、ここにきて再び増え始めている。  児童総数に占める不登校児童の割合は0・39%で、小学校では256人に1人が不登校になっている。また中学校になると、不登校生徒の割合は2・96%に増え、ほぼ34人に1人が不登校という実態が浮かんだ。  今年5月1日現在の児童・生徒総数は、小学生が43万7862人(前年度比0・3%増)で6年連続増加。中学生も21万1451人(同1・9%増)で3年連続で増えた。一方、高校生は18万7017人(同1・8%減)で18年連続の減少となった。  また昨年度の高校卒業者6万2399人のうち3万6018人が大学やなどに進学。現役の進学率としては過去最高の57・7%を記録した。また就職率も19・4%で4年連続上昇した。【秋山信一】 7月31日朝刊