2007年9月29日土曜日

トヨタとファミリーフレンドリー

トヨタ、均等・両立推進企業表彰における均等推進企業部門 愛知県労働局長…[JCN Newswire] http://news.fresheye.com/mart/?aid=r-jcn-IS0-06 トヨタ、愛知県労働局長優良賞を受賞[カービュー] http://news.fresheye.com/mart/?aid=r-carvw-IS0-12 トヨタ、均等・両立推進企業表彰を受賞[カービュー] http://news.fresheye.com/mart/?aid=r-carvw-IS0-0V 秋田県庁産業経済労働部だより(第34号)[秋田県] http://news.fresheye.com/mart/?aid=r-akitap-IS0-0J ▼“労働 トヨタ ”で、その他の情報もチェック >>http://news.fresheye.com/search/?ord=t&svc=RTF01&emo=news&kw=%cf%ab%c6%af%a1%a1%a5%c8%a5%e8%a5%bf%a1%a1▼“労働 トヨタ ”で、ブログの情報もチェック >>http://news.fresheye.com/search/?ord=t&svc=RTF01&emo=blog&kw=%cf%ab%c6%af%a1%a1%a5%c8%a5%e8%a5%bf%a1%a1

2007年9月27日木曜日

フレッシュアイより

■あなたの選択キーワード:労働 トヨタ ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛トヨタ紡織 来月6社再編正社員登用を拡大 人材育成の専業子会社[中日新聞] http://news.fresheye.com/mart/?aid=r-chunic-IRy-0l GM一斉スト、日系メーカーに影響も[読売新聞] http://news.fresheye.com/mart/?aid=r-43uriy-IRy-1S ▼“労働 トヨタ ”で、その他の情報もチェック >>http://news.fresheye.com/search/?ord=t&svc=RTF01&emo=news&kw=%cf%ab%c6%af%a1%a1%a5%c8%a5%e8%a5%bf%a1%a1▼“労働 トヨタ ”で、ブログの情報もチェック >>http://news.fresheye.com/search/?ord=t&svc=RTF01&emo=blog&kw=%cf%ab%c6%af%a1%a1%a5%c8%a5%e8%a5%bf%a1%a1

GMの労使合意

◆米GM労使交渉が決着、UAWが暫定合意に達したと表明。スト中断へ| 労使双方が医療保険制度見直しを含む労働協約の改定で暫定合意に達したと 発表。焦点だった医療費保険の見直しでは、退職者向けの医療保険の債務や 業務を引き継ぐUAW主導の「任意従業員福利厚生基金(VEBA)」の創設で合意。 GMは退職者向けの医療費の支払い義務がなくなり、年30億ドル(約3500億 円)のコスト削減効果があるとみられる。| UAWのゲトルフィンガー委員長は、今週中にGM労組加入者による労働 協約の批准作業を開始するという。24日から実施していた全面ストライキは 中断し、26日から生産を再開する。| GMは、「競争力を大幅に改善する道筋をつけた」と発表した。労使とも 業績などへの影響が深刻化するのを避けようと、妥結を急いだとみられる。http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20070926AT2M2601U26092007.htmlhttp://www.nikkei.co.jp/news/main/20070926AT2M2601U26092007.htmlhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070926-00000663-reu-bus_allhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070926-00000136-mai-bus_allhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070927-00000731-reu-bus_allhttp://www.asahi.com/car/news/TKY200709260406.htmlhttp://www.uaw.org/news/newsarticle.cfm?ArtId=495

2007年9月23日日曜日

お菓子

菓子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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菓子(かし)とは、甘味や塩味など味覚強調し、あるいは食感など触覚に工夫し、各種の匂いで嗅覚など食味感覚嗜好品として製造、調理された食品である。
一般に穀類の粉を練り焼くあるいは蒸すなどしたビスケット饅頭糖質を主体としたキャンディチョコレート類、アイスクリームなどの冷凍菓子などを含めて菓子とされている。
近代になり冷凍冷蔵技術の向上と大量生産を可能にする工業化が進んだ事で、菓子の種類と生産量は飛躍的に増えた。これにより菓子製造販売は、旧来の職人が手作りして専門菓子店(和菓子店・洋菓子店・煎餅店等)で小売りするといった形態の他、工場生産された包装済みの菓子が小売店(スーパーマーケットドラッグストア等)で販売されるという形態が定着した。主に品質が均一で安価な商品工場で生産し、手間のかかる高品質な物や流通の困難な商品は専門菓子店が製造するといった棲み分けが定着されてきている。
なお、日本では食品衛生法および乳等省令により、アイスクリームなどは一般食品である菓子ではなく、乳製品として分類されている。また、果実乾燥させたり砂糖漬けにしたものや、焼き芋煎り豆などに代表される農産物を単純に加工したものは菓子製造と見なされない場合が多いが、一方でポテトチップポップコーンに関してはスナック菓子として扱われている。
目次[非表示]
1 菓子の発祥と伝播
1.1 職業としての確立と発展
2 ヨーロッパの菓子史
2.1 菓子と宗教
2.1.1 イスラム文化と砂糖と十字軍
2.2 ルネサンスと大航海時代
2.2.1 フランス美食の王国
2.3 菓子製造の近代化と産業革命
3 中国の甜点心
4 アメリカの菓子 
5 日本における菓子
5.1 洋菓子
5.2 菓子の分類
6 その他/関連項目
7 参考文献
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[編集] 菓子の発祥と伝播
約1万年前の壁画蜂蜜の採取と思われるがあり、人は有史以前から蜂蜜果物などの甘味を求めていた。また、身体維持に欠かせない塩分は、その必要性から塩味といったおいしさとして認識されていた。様々な穀物を粉にし、それを練って火にかけるという初歩的な調理が行われるようになってからは、食物に対して栄養を求めるだけでなく、甘味塩味をより楽しむ事が求められるようになり、そういった味覚への追求が菓子を創造する原動力になったとも考えられている。
農耕牧畜が発展し、原種小麦が現代品種に至って以降、文明の発達と共に菓子が作られはじめた。紀元前22世紀頃の古代メソポタミア新シュメール時代マリ王朝宮殿跡から「うずくまるライオン」の菓子型が出土している。「楔形文字」の解読研究によるとマリ王朝には「メルスの製造者」という職業があり、「メルス」は練った生地にナツメヤシピスタチオ、干しイチジクや干しブドウ蜂蜜や各種の香辛料を混ぜ込んで焼き上げたものだとされている事が解り、これが現代焼き菓子につながるものだとも考えられている。
また、紀元前1175年エジプトラムセス3世には、製パン施設と思われる壁画があり、パンとともに「ウテント」という渦巻き状の揚げ菓子と思われるものが描かれている。墳墓副葬品として、食物を作る人々の像や食物も出土しており、それらの研究から当時14種類の菓子があったとも推測されている。
紀元前2000年頃に地中海で海洋文明として成立したエーゲ文明はアジアの文物を媒介し、後継であるミケーネ文明をさらに引き継いだギリシア時代には、誕生日を祝う現代のバースデーケーキにあたるものなど100種を数える菓子があったと言われている。紀元前二世紀頃からはバターも知られはじめ、チーズの製造にも工夫が重ねられ職人も存在しており、獣脂やガチョウなどのも菓子製造に利用されたようで、菓子作りの基本となる食材が揃い始めた時代でもあった。
文明の勃興期、穀物を製粉加工する粉食は世界各地で多発的に起こったとも考えられている。ユーラシア大陸の各所で派生した文化が成熟し、ギリシアペルシアのように争いを含め様々な形で交わっていく過程で、菓子はさらに多様化し広まっていった。現代のアラブ諸国に見られる揚げ菓子も、ギリシアで婚礼菓子として用いられていた蜂蜜入りの揚げ菓子が由来であると考えられている。

[編集] 職業としての確立と発展
紀元前7世紀頃に建国されたローマ時代、曖昧であったパンと菓子は種類により明確に分類されるようになった。それまで、どちらかと言えば女性が担う調理仕事の一つとして扱われていた菓子作りだが、儀式の供物用に特別な菓子などが求められはじめ、種類も多彩になった事などから男性が職業として関わるようになり、紀元前171年には法的にも承認され、菓子職人が男性の職業として確立する事となった。当初、権力者や富裕層のために、あるいは特別な儀式のために作られていた菓子は、その製造が職業として認められ充実していくにつれ市民にも広まり、一部にはローマ市内で販売されるまでに至った。また、ローマ人の生活と神事は切り離せないものであり、様々に工夫され飾られた供物菓子が神殿に奉納されており、これらが現代の菓子のデコレーションの原型となっているとも考えられている。さらに、ジュリアス・シーザーはアルプス奥地から氷雪を運ばせ、乳や蜜のほか酒を混ぜあるいは冷やして飲んだとも言われており、氷菓の原点もこの時代だったという説もある。
帝政となりローマは更に繁栄を極め、菓子に用いられる材料もますます多様になっていった。紀元前のアレクサンドロス3世による東方遠征時、インドサトウキビの絞り汁を発酵させた「葦の茎からとれる蜜」があると報告されていたが、その発酵物を固めたと思われる「サッカラム」も蜂蜜や果糖と同様に菓子作りに用いられていたと考えられている。
さらに、312年頃には市内にパン屋と菓子屋が合わせて254軒もあったと伝えられており、合わせ型による焼き菓子や工芸菓子も登場し、富裕層や貴族階級の宴席を飾っていた。カトリックの洗礼式などで用いられる「ドラジェ」や、イタリアクリスマスに欠かせない「パネトーネ」もローマ時代が起源と言われており、あらゆる物品が集うと言われ世界第一の都市であったローマにおける菓子の隆盛が、現代菓子の基礎となったと考えられている。

[編集] ヨーロッパの菓子史

[編集] 菓子と宗教
4世紀後半のローマ帝国の衰退をはじめ、ヨーロッパは幾つもの王朝が勃興しては争う時代となった。以降、ルネサンスまで菓子作りにおいてローマのような躍進的な創造はあまり見られない。また、この時代は都市構造や家屋整備の面でも停滞が見られ、一般の家々にオーブンを備える事は許されず、柔らかなパンや菓子生地を焼ける大きなオーブンは、各地の修道院や教会、荘園の領主などのみが所持していた。オーブンの使用料として卵や蜂蜜、チーズなどを納める事が求められ、この事は封建制度における弊害である反面、納められた材料を用いての菓子製造の専業化が進み、結果的にローマ時代に培われた菓子の製造技術が途切れず受け継がれていく事となった。また、修道院や教会によるキリスト教の行事や祝祭日のための菓子の製造は、フランスの「ガレット・デ・ロワ」や「オスティ」などの宗教菓子を経て、クリスマスや復活祭など、後年ヨーロッパにおけるキリスト教の行事を彩る様々な菓子の発展へと繋がっていった。

[編集] イスラム文化と砂糖と十字軍
7世紀にイスラム教が成立、それを背景とするイスラム帝国が勃興する。同じ頃ペルシアではサトウキビを発酵させない精糖法が考案され、長期保存が可能になった砂糖は貴重な交易品としてイスラム帝国の拡大とともに東西に広まっていった。711年、イスラム帝国ウマイヤ朝の時代には、北アフリカ一帯も勢力下に治めイベリア半島も征服、地中海沿岸に大きく版図を広げた。合わせてサトウキビの栽培と精糖技術も地中海沿岸諸国に広がったが、ヨーロッパに広く砂糖が知られるようになるのは、後の十字軍の時代であった。
イスラム教成立以降キリスト教世界との対立は続き、ヨーロッパにおいてようやく国家的安定が得られはじめた11世紀から13世紀までの200年間、聖地奪還を掲げて幾度もキリスト教圏から東方へと十字軍の遠征が行われた。人の往来は交流を生み軍路の発達は物流を助け、結果として砂糖や香辛料をはじめとする東方の物産がヨーロッパに広まる事となった。だが、イタリア諸都市を通じ地中海貿易でしか得られない砂糖は、貴族や富裕層の間でしか手にできない貴重品であり、そのほとんどが滋養のためのいわば薬用として処方されるもので、菓子製造に利用するのではなく、当初はわずかにふりかけるといった用いられ方だったとも考えられている。また、貴重品であった砂糖の取引はやがて教会の許可制となり、修道院などで薬酒として作られていたリキュール酒の材料として香辛料と共に用いられる事となり、後年、甘いリキュール酒として菓子作りに活かされる事となった。
砂糖だけでなく、十字軍のもたらした文物はヨーロッパの菓子作りに様々な影響を与える事となった。 小麦の育たない寒冷地でも栽培できる穀物、ソバも十字軍によってヨーロッパにもたらされたもので、フランスではサラザンと言われている。中世においてアラブ諸民族を指すサラセンに由来した名だと考えられており、現代でもクレープなど様々な菓子に利用されている。また、フランス南西部に伝わる「パスティス」とモロッコに伝わる「パスティリャ」や、オーストリアの「シュツルーデル」とトルコの「バクラヴァ」の形の類似などから、広い範囲での交流があったとも考えられている。
食文化の暗黒期とも言われていた中世だが、ローマ時代に基本がほぼ完成していた各種の焼き菓子には、砂糖やリキュールなどによる更なる工夫の素地が用意された時代でもある。さらにインド原産のオレンジレモン、中国原産のアプリコットなどがイスラム世界を経由して、さらに十字軍により運ばれ、砂糖の広まりとともに砂糖漬けにされた果実が、食後のデザートとして用いられるようになり、糖菓としての確立につながる事となる。そして、ブドウ酒や果実のジュースを入れた容器を塩を混ぜた雪や氷の中で撹拌するといった、現代にも通じる氷菓の製造法も伝来し、アラビア語で飲むを意味する「シャバリ」が語源と言われる、フランスの「ソルベ」、英語の「シャーベット」といった氷菓もイタリアなどで作られはじめた。
現代欧風菓子の、小麦粉などの焼き菓子を主体としたパティスリー(Patisserie)、糖質が主体となった糖菓であるコンフィズリー(Confiserie)と氷菓であるグラス(Glace)といった大別は、中世の十字軍の東方遠征により図らずも育まれた文化交流によって成立していったとも考えられている。

[編集] ルネサンスと大航海時代
ローマの衰亡以降、イタリア半島は統一を欠き紛争が続いていたものの、地中海貿易を担うヴェネツィアフィレンツェなどが都市国家として発展していた。14世紀にこれらイタリアの都市国家が中心となって興ったルネサンスは食文化にも及び、十字軍のもたらしたイスラム圏からの食材を用いて、さらに工夫を重ねた菓子が登場する事となった。
一方、レコンキスタにより1492年、イベリア半島はイスラム支配を脱し、ヨーロッパの他の王朝に先駆けて強力な王権を獲得したスペインとポルトガルは、民族主義意識の高まりを背景にイスラーム勢力の駆逐と領土拡張に乗り出す事となった。新航路の発見は領土と交易品をもたらし、ひいては莫大な富をもたらす。さらに、15世紀にかけてイスラム王朝の一つであったオスマン朝が帝国として台頭、地中海貿易をほぼ掌握したオスマン帝国による貿易関税への不満も加わり、ヨーロッパの各国が外洋へと走り出す、大航海時代となっていった。大西洋を渡り、西インド諸島はヨーロッパ諸国の一大サトウキビ生産地となり、貴重な輸入品であった砂糖をヨーロッパ人自ら精製し手にする事になった。そして、スペインによりチョコレートがヨーロッパにもたらされたのもこの時代であった。

[編集] フランス美食の王国
フランス菓子が世界に知られる完成度を得る背景には、ヨーロッパ諸国の興亡と王朝間の婚姻があった。諸侯が割拠していた西フランク王国をまとめたカペー朝が1328年に断絶した後、フランスはイギリスとの百年戦争に苦しむ事となる。1453年にフランスの勝利で戦争は終結し、以降、次第に国力をつけ幾度もイタリアに攻め入り、イタリア戦争を引き起こした。1533年メディチ家カトリーヌ・ド・メディシスが、政略結婚とも言える形でフランスのアンリ2世に嫁している。文化的には後進であったフランスに、ナイフとフォークを持ち込んだと言われ、実際に当時のイタリアの生活様式が全て再現できるよう、料理人や製菓人まで供にしていた。シャーベットマカロンフランバジーヌプティ・フールなど、今日フランスの伝統菓子とも思われているほとんどは、イタリアから伝わったものだとも考えられている。さらに1615年ルイ13世にスペイン王フェリペ3世の娘アンヌ・ドートリッシュ、続く1660年ルイ14世にスペイン王フェリペ4世の娘マリア・テレサが嫁ぎ、チョコレートとその調理法もフランスに渡った。ルイ15世に嫁いだポーランド王の娘マリー・レクチンスキーは父娘ともに美食家でも知られており、ババヴァローヴァンを創造したと言われている。1769年オーストリアマリー・アントワネットルイ16世に嫁いだ事で、ドイツ菓子の製法も流入する。ヨーロッパ主要国の菓子の製法がフランスに集まり、ヨーロッパの菓子の集大成としてのフランス菓子が、その完成にむけて大きく躍進する事になる。

[編集] 菓子製造の近代化と産業革命
イタリアをはじめ元はヨーロッパ各地で創作された菓子が、フランス菓子として現代に認知されている要因の一つに、菓子の製法を系統立ててまとめ正確に伝播できるようにした点が上げられる。1784年、革命前のフランスに生まれたアントナン・カレームは製菓だけでなく料理の技量においても秀逸であり、製菓や料理の技法を記した多数の著作を残した。シャルロットジュレババロアブラン・マンジェプディングムーススーフレなど、まさに現代に主流となっている口当たりの良い菓子をこの時代にデザートとして提案しており、同時代のみならず後の菓子職人達にも大きな影響を与えている。
18世紀に始まった産業革命にともない、精糖産業にも変革が訪れる。16世紀に寒冷地でも栽培できる甜菜(サトウダイコン)からも砂糖が精製できる事が発見されていたが、サトウキビを越えて広まる事はなかった。だが、1806年イギリスを封じ込めヨーロッパの経済支配を狙ったナポレオンの大陸封鎖令により砂糖が入手できなくなった事から、甜菜の栽培による砂糖生産が奨励される事になる。19世紀中頃に生産が軌道に乗り精糖産業の工業化が進んだ。この事は様々なコンフィズリーは元より、ビスケットやチョコレートなどの普及へと繋がり、ローマの昔から富裕層や特権階級の享受するものだった甘い菓子が、ヨーロッパ中に豊富に出回りはじめるきっかけとなった。
パティスリーそしてコンフィズリーの普及と完成を助けた産業革命だが、氷菓やアイスクリームこそ産業革命の申し子と言える菓子であった。1867年ドイツで製氷器が発明され、アイスクリーム製造の機械化は一気に進んだ。アメリカでは企業で量産されるようになり、後にアメリカの国民食と言われるほどの普及を見る。以降、グラス(氷菓)は、デザートやアントルメとしてのヨーロッパ式と、量産システムによるスナックとしてのアメリカ式の二つの傾向に別れて発展する事になった。

[編集] 中国の甜点心
文明の黎明期、同じような粉食文化が始まりながら、中国では菓子について独自の位置づけがなされ、点心としての発展を遂げた。
現代、世界で菓子として認識されている食品を、中国の食において一括りにするのは難しい。中国の食は、食事をするといった意である「吃飯」と、軽食をとると言った意味合いの「吃点心」に大別できる。吃点心の中でも、粉を練って作った皮で餡を包み込んだものを点心と言い、さらに甘味のものを甜点心としており、「月餅」や小豆餡の饅頭である「豆沙包子」などが良く知られている。同じく吃点心の中で、果物を意味する果子があり、果物の砂糖漬けや、果汁で作った糖菓子などはこれに含まれる。「杏仁豆腐」は本来は「吃飯」の菜で宴席料理の甜湯であるが、少量を供した場合は小食として吃点心としても扱われる。アイスクリームや氷菓は食では無く、飲に属し喝の冷飲として扱われている。
黄河文明期、紀元前3000年頃の仰韶文化期において石臼や杵が使用されており、穀類を砕き加工し調理する技術は中国でも古代から知られていた。だが、粉食が中国食文化に浸透しはじめたのは、前漢武帝の時代、匈奴を挟撃するべく大月氏に使者として送られた張騫が、紀元前126年に小麦とその製粉技術を持ち帰ってからとされている。北魏の末、500年頃の著作『斉民要術』には、粉食としての点心が詳細に記述されており、小麦を加工した「餅(ピン)」などの記述も見られるが、当時の製粉技術は石臼と杵であり、7世紀初頭から10世紀初頭に栄えたの時代、水車を使った大規模な製粉技術がもたらされて後、中国食文化が本格的に粉食主体となったと考えられている。さらに、唐時代はイスラム帝国が勃興する時代と重なっており、世界交易の拠点でもあった長安にはペルシア人も頻繁に訪れた。長安の都にはドーナッツのような揚げ物である「環餅」や「油餅」などを売る店が並び、ペルシア風の食べ物「胡食」が流行した。精糖技術も伝わり甜点心は更に発展した。茶を飲み点心・小食を食べるいわゆる飲茶という食習慣が全国に普及したのも唐の時代と考えられている。以降、代には蒙古族の食習慣が取り入れられ、乳や酪といった素材を用いた甜点心が作られた。代には1840年アヘン戦争に前後してヨーロッパの菓子も流入した。ビスケットは「餅乾」として普及し、ケーキは欧風菓子を意味する「西式点心」として区分されていた。

[編集] アメリカの菓子 
アメリカの菓子は、今日の日本人の標準的な感覚からすると着色料や砂糖などが多く使われているものが多い。アメリカの菓子は、リコリスや、ジュースでいえばルートビアジンジャーエールドクターペッパーなどの薬のような風味のものも多い。 また、トルティーヤチップスポテトチップスなどをはじめとしたスナック菓子が人気である。チョコレートではM&M'S(マスターフーズ)などが有名。

[編集] 日本における菓子
古代の日本では果実や木の実などを総称して「くだもの」と呼んでいた。漢字が伝来し「くだもの」に「菓子」あるいは「果子」の字があてられるようになった。そして、奈良時代から平安時代にかけて中国から穀類を粉にして加工する製法の食品が伝わり、これが唐菓子と呼ばれるようになる。果実とは全く異なる加工された食品ではあるが、嗜好品としては果実同様であるとして「くだもの」と分類されたのではないかとも考えられている。
続いて、室町時代から安土桃山時代にかけて茶道の隆盛に伴い、点心としての菓子が求められはじめた。中国では肉類を用いて作られている羊羹饅頭がもたらされたが、日本では仏教の影響下、肉類ではなく小豆や豆類など植物性の素材に置き換えて作られるようになった。これが後に、和菓子の方向性を決定したとも考えられている。
一方、足利時代末から鎖国令までの間、世界は大航海時代の中にあり、南蛮菓子の輸入時代ともなっていた。カステラボーロ金平糖カルメラなど、日本独自の製法が工夫され和菓子として発展した菓子もある。
茶道と伴に発達した点心は京都でさらに発展し、練り羊羹や餅菓子、半生菓子から打物の干菓子まで、工芸的趣向をこらしたものになり京菓子として隆盛を極めた。だが、江戸時代も後期になると京菓子に対抗して江戸文化により育まれた上菓子が隆盛を見せる。また、白砂糖は上菓子のみに用いるといった制限を逆手にとり、駄菓子と言われる黒砂糖を用いた雑菓子類も大きく発展した。
詳細は和菓子を参照。
明治維新により鎖国令が解かれると海外から、ドロップキャンディチョコレートビスケットなどが輸入されるようになり、日本の菓子は革命とも言える大転機を迎える事になった。大航海時代時代からの経済発展により完成の域に達したフランス菓子などが伝えられる一方で、産業革命により機械化効率化した菓子製造法まで一気に伝来し、日本の「洋菓子」として幅広い発展を見る事となった。

[編集] 洋菓子
モンブラン
ショートケーキ
ビュッシュ・ド・ノエル
ウエディングケーキ
クリスマスケーキ
マシュマロ
カスタードプディング
ビスケット
パフェ
サンデー
シュークリーム - エクレア

[編集] 菓子の分類
日本には多種多様な菓子があり、分類法も一様とはならない。代表的な分類としては和菓子と洋菓子といった伝統と製法による分類に加え、水分含有量と保存性から分類する場合もある、食品衛生法では「製造直後で水分40%以上。クリームジャム等が入ったものでは水分30%以上を含むもの」を生菓子としそれ以外を干菓子とする基準を定めている。
業界団体などは生菓子と干菓子の分類に加え以下の基準で菓子の分類を定めている。
出来上がり直後において水分が40%以上の物。ただし、餡、クリーム、ジャム、寒天またはそれに類する物を使用している場合は水分が30%以上の物 - 生菓子
水分含量が10%以上40%未満の物 - 半生菓子
10%未満の物 - 干菓子

[編集] その他/関連項目

ウィキメディア・コモンズには、菓子に関連するカテゴリがあります。
製菓
駄菓子
スナック菓子
米菓
ジャンクフード
デザート
スイーツ
パティシエ
菓子研究家
料理と菓子の一覧
小麦粉
バター
マーガリン
砂糖
鶏卵
牛乳
菓子パン

[編集] 参考文献
プロスペル・モンタニェ著『ラルース料理百科事典 4』三洋出版貿易
W・J・ファンス編 辻静雄訳『現代洋菓子全書』三洋出版貿易
締木林太郎著『菓子の文化史』光琳書院
池田文痴菴編著『日本洋菓子史 』日本洋菓子協会
静雄著『フランス料理を築いた人びと』鎌倉書房 ISBN 4-308-00107-2
吉田菊次郎著『洋菓子事典』主婦の友社 ISBN 4-07-933424-9
吉田菊次郎著『洋菓子の世界史』製菓実験社
中山時子監修『中国食文化事典』角川書店 ISBN 4-04-040300-2 C3577
小林彰夫編集『菓子の事典』朝倉書店 ISBN 4-254-43063-9
西山松之助ほか著『たべもの日本史総覧』新人物往来社 ISBN 4-404-02094-5 C0021
粟津則雄ほか著『カステラ文化誌全書』平凡社 ISBN 4-582-82892-2
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%93%E5%AD%90" より作成
カテゴリ: 菓子

2007年9月21日金曜日

古田監督の今後

退団を表明したヤクルト古田監督のこれからが注目されます。

民主党から待望論 古田監督政界進出?
9月21日7時4分配信 スポーツニッポン

6月22日、鈴木寛議員の決起集会で応援に来た古田監督(左)は、渡部恒三衆院議員(中)鳩山由紀夫幹事長の前で演説
 19日に現役引退と監督退任を発表したヤクルト・古田敦也監督(42)の第2の人生として、政界進出の可能性が高まっていることが20日、分かった。先の参院選で自民党に圧勝し、政権交代を狙う民主党内で“古田待望論”がわき起こっているもので、球界再編問題の際に労組・プロ野球選手会長として強烈なリーダーシップを発揮した手腕などを高く評価。次期衆院選に“サプライズ出馬”する公算が高くなった。 涙に暮れた引退&退任会見で「まったく分からない」としていた古田監督の今後に、新たなる道が開けてきた。ユニホームから背広、グラウンドから国会へ。政界進出の可能性がにわかに現実味を帯びてきた。 古田監督が現場を離れることになったのを受けてこの日、民主党関係者はその可能性についてこう言及した。「古田さんのような著名人候補は参院選に出馬することが多い。ただ、本人が衆院選を望むのなら、民主党としては超目玉候補として擁立する準備はあります」。さらに具体的な選挙区についても「問題はどこから出すか。ヤクルト一筋の古田さんなら東京の小選挙区も考えられる」と続けた。この言葉は民主党内に古田監督の出馬を望む強い声があることを如実に表している。 政界進出は、あくまで本人の意思が大前提となる。古田監督は今後について白紙を強調。「少しゆっくりしたい」とも漏らしているが、周辺は「政治に興味があって将来的にそういう(政界進出)ことを視野に入れている。キャスターをやったりしながら、出馬の機会をうかがうことになるのでは」と語っている。古田監督が政界に関心を持っているのは関係者の間では広く知られており、民主党との結びつきは特に深い。今年6月には、参院選東京選挙区に出馬した民主党・鈴木寛参院議員(43)の総決起大会に来賓として出席。この時は、球団側から特定政党を支持することに難色を示され「個人的な立場で応援する」という一幕もあった。 元来、鈴木議員とは10年来の親友。今春の沖縄キャンプで陣中見舞いを受けた際に都知事選の出馬要請も受け、2人の対話本「子育てキャッチボール」(徳間書店)を発売する間柄だ。04年には球界初のストを敢行、2リーグ制の維持を勝ち取った古田選手会長の“相談役”を務めた。以来、選手会長として発揮した“政治力”は政界からも注目されており、ファンに愛されるキャラクターにも評価が高く、今回ユニホームを脱ぐことで“古田待望論”が高まった。 出馬するとすれば、次期衆院選が有力。18年の現役生活にピリオドを打つ球界No・1捕手から今後も目を離せない。
最終更新:9月21日7時21分

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2007年9月11日火曜日

給油活動の延長

2007/09/10-20:29 対テロ新法提出へ=国会承認を削除、洋上給油に限定-政府・与党調整入り
 政府・与党は10日、海上自衛隊がインド洋で実施している給油活動を継続するため、給油・給水活動に限定した新たな法案を今国会に提出する方針を固めた。当初予定していた現行のテロ対策特別措置法を延長する改正案の提出は見送る。同改正案を提出しても、11月1日の期限切れまでに成立させるめどが立たず、失効後は国会審議が続けられないためだ。参院での野党過半数を踏まえ、新法案からは自衛隊派遣の国会承認規定を外す方向で調整する。 政府高官は10日、給油活動の継続に関して「旧法(テロ特措法)と言っている人に会ったことはない」と述べ、新法案で対応していく方針を表明。公明党幹部も「特措法延長の改正案(を成立させること)は難しい。できるだけ早く新法を出す」と語った。 新法案を提出した場合は、仮にテロ特措法が期限切れで失効しても、国会審議をやり直す必要はない。現在派遣している海自補給艦と護衛艦は特措法失効に伴い、いったん撤収しなければならないが、新法成立後は早期の派遣再開が可能になる。

2007年9月10日月曜日

クライスラーの引き抜き

クライスラー、社長はトヨタからレクサス成功させた“販売の鬼”が引き抜きに応じた理由2007年9月10日 月曜日David Welch (BusinessWeek誌デトロイト支局長)米国時間2007年9月6日更新 「Chrysler Helps Itself to Toyota Sales Star」 新生クライスラーのロバート・ナルデリ会長兼CEO(最高経営責任者)が、またやってくれた。ライバルのトヨタ自動車(TM)からジム・プレス北米トヨタ社長を引き抜いたのだ。販売・マーケティングで手腕を発揮し、トヨタの隆盛を支えてきた最重要人物である。 2001年、元クライスラー社長のロバート・ラッツ氏がライバルのゼネラル・モーターズ(GM)に移った時も大変な騒ぎになった。今回も、自動車業界には大きな衝撃が走っている。たった1カ月で2人のトヨタ幹部をゲット クライスラーがこの電撃移籍を発表したのは9月6日である。米ホームセンター大手ホーム・デポのCEOだったナルデリ氏が、クライスラーの会長兼CEOに就任したのは8月6日のことだ。 その1カ月の間に、ナルデリ氏は立て続けに2人の幹部をトヨタから引き抜いた。プレス氏を引き抜く前には、レクサス部門のマーケティング担当副社長デボラ・ウォール・メイヤー氏をトヨタから奪い取り、クライスラーの副社長兼CMO(最高マーケティング責任者)に据えている。 ナルデリ氏の動きは速い。クライスラーの新経営体制を固めるためなら、自動車業界の雄であるトヨタから人材をかっさらってくることに何の躊躇もないようだ。プレス氏はクライスラーの副会長兼社長に就く予定。既に製造部門を統括しているトム・ラソーダ氏とコンビを組んで、販売と製造の2頭体制を固める。ナルデリ氏が乗り込んでくるまで、ラソーダ氏はクライスラーのCEOだった。 「すごい大物を釣り上げたもんだ。どうせやるなら、最高クラスを狙った方がいい。ナルデリ氏は自分に何が足らなくて、何が必要なのかをよく知っているようだ」と、オートトレンドコンサルティング(ニュージャージー州)のジョゼフ・フィリッピ社長は言う。“プレス+ラソーダ体制”によって、クライスラーの「供給と需要」を完全に統制できるようになると、クライスラー広報担当のジェイソン・バインズ氏は説明している。 ナルデリ氏は、業界屈指の「販売の鬼」を手中に収めたと言える。トヨタの北米地域販売部門を長く指揮してきたプレス氏は、トヨタを大躍進させた立役者である。2000年に10%程度だったトヨタ車の北米シェアは今では16%にまで拡大。今年は米フォード・モーター(F)を抜いてシェア第2位に躍り出そうな勢いである。 プレス氏の下、レクサスは米国市場で高級ブランドのベストセラーになった。その一方で、斬新な「Scion(サイオン)」ブランドの立ち上げによって若年層市場に分けて入ることにも成功した。こうした実績が認められ、プレス氏は昨年、米国市場の販売と製造を統括する持ち株会社、北米トヨタ自動車の社長兼COO(最高執行責任者)に昇格したのである。現場の興奮、そして約束された莫大な報酬 それにしても、躍進するトヨタを去り、あえて、苦悩するクライスラーに移ったのはなぜなのだろうか。あるトヨタ関係者は匿名を条件にこう話す。「北米トヨタの社長まで登りつめたはいいが、彼にとっては退屈だったんじゃないかな。現場の興奮が忘れられなかったんだろう」。 極めて精力的で、常に何かに挑戦せずにはいられない――。プレス氏の人物評である。61歳になる今も続けている水泳は、若い者に負けない泳ぎっぷりだ。このトヨタ関係者が言うように、販売、マーケティング、製品企画の現場に戻って陣頭指揮を執りたかったということなのか。会社の“顔”として祭り上げられ、新モデルの企画や販売は部下に任せる毎日に飽き飽きしてしまったということなのか。 違う見方もできる。クライスラーは今や米買収ファンドのサーベラス・キャピタル・マネジメントの傘下にある株式非公開企業である。プレス氏のような優れた人材に、移籍の見返りとして自社株を供与することが容易になった。再建後のクライスラーが他社に売却されたり、再び株式が公開されるようになれば、莫大な富を手にすることが可能だ。現在こそ苦境にあるが、クライスラーの非公開株は業界の大物を口説き落とすためには強力な武器になるはずだ。ただし、クライスラーはプレス氏の報酬や待遇を公表していない。 トヨタにとっては、米国における最高の人材を失ったことになる。しかも、たった1カ月のうちに2人目である。落ち目のビッグ3であっても、いとも簡単に幹部が奪われてしまうことをトヨタは思い知った。 衝撃は大きい。だが、あのトヨタのことである、しばらくすれば何もなかったかのように平静を取り戻すだろう。キーマンはジェームズ・レンツ氏。北米トヨタの販売・マーケティング担当副社長である。昨年プレス氏が社長に昇格した時に部門を受け継いだ。プレス氏を失っても、その知識とノウハウはトヨタの中にしっかりと継承されている。クライスラーはトヨタ流に学べるか? 本気で学ばなければならないのは、もちろん、クライスラーの方である。 トヨタは、自動車販売会社から絶大な評価を得ている。それは、北米トヨタの幹部たちが販売会社に自ら足を運び、顧客が何を求めているのか、何を不満に思っているのかについて、真摯に耳を傾けているからだ。米国市場におけるトヨタの成功は、そうした地道な努力によって支えられてきた。 7月、ニューヨークに販売会社を集めた会議で、トヨタは「EM2プログラム」について説明した。自己満足という“大企業病”を根絶するために、経営幹部が先頭に立って取り組んでいく。販売会社の社長たちを前にそう宣言したのである。 (編集部注: EM2=Everything Matters Exponentially、すべては乗数的に重要になる) ニューヨーク州ブラーベルトから会議に出席した自動車販売会社経営、ニール・クーパーマン氏は、会場でプレス氏から声をかけられた。「何か改善できることはないかな、って聞いてくるんだ。北米担当の社長がだよ。ほかの自動車メーカーには真似ができないことだ」。 ほかの販売会社の経営者たちも、プレス氏は社交辞令でそんな質問をしていたわけではなかったと口を揃える。販売の最前線から何か情報をインプットすると、日本の本社の技術者たちがやって来て顧客がトヨタ車に何を求めているのかについて徹底的に調べていく。そういうことが、よくあるというのである。 クーパーマン氏は言う。 「トヨタには、外部の意見を聞き、自らを変えていく文化がある。プレス氏はそれを移植できるだろうか。それができればクライスラー復活は夢ではなくなる」2007 by The McGraw-Hill Companies, Inc. All rights reserved

2007年9月9日日曜日

トヨタ に関する Google ニュース アラート070909

トヨタ に関する Google ニュース アラート
F1 : イタリアGP2日目(トヨタ) 総評と関係者コメントTopNews★レース速報公式練習3回目でも、途中のクラッシュにより、20分ほどの赤旗中断に妨げられることとなったが、パナソニック・トヨタ・レーシングのラルフ・シューマッハとヤルノ・トゥルーリは、予選、決勝へ向け最後のセットアップ作業を行った。午後2時に公式予選が開始され、気温28 ...このトピックに関する記事をすべて表示する
09年から鈴鹿復活=富士と交互に...時事通信F1の日本GPは1987年から06年までの20年間、ホンダ傘下の鈴鹿で行われたが、今季からはトヨタ 傘下の富士での開催が決定。これに対し、鈴鹿側が再開を求めてFOAと交渉し、09年から鈴鹿、富士の順で交互に開催することで合意に達した。 ...このトピックに関する記事をすべて表示する
トヨタ、全てのプラスティック部品をバイオ製に?CAR モードトヨタがバイオプラスチックの研究開発で、自動車内装材すべての製造技術を確立したと報道されています。バイオプラスチックは以前にも紹介したことがあると思いますけど、植物由来のプラスチック。製造過程でCO2排出量が少なく、またカーボンニュートラルなものである ...このトピックに関する記事をすべて表示する
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2007年9月8日土曜日

愛知のネットカフェ難民

2007年9月8日(土)「しんぶん赤旗」
ネットカフェ難民1300人
共産党・民青同盟との懇談で
愛知労働局が明らかに
 厚生労働省による「ネットカフェ難民」(住居を失い、インターネットカフェなどに常連的に寝泊まりする人たち)の実態調査で、愛知県内の「難民」推計値が千三百人に達していることが七日、分かりました。
 同県の日本共産党および民青同盟と行った懇談のなかで、愛知労働局が明らかにしたもの。全国推計値(約五千四百人)の四分の一を占めています。
 同省は、名古屋市内の「難民」は二百人と推計しており、県内の「難民」のほとんどが、非正規雇用が急増している郊外の工場近辺で“生活”しているとみられます。
 懇談には、せこゆき子元衆院議員と八田ひろ子元参院議員、林信敏元県議が出席。一行は同労働局に対し、県内でも独自に実態調査するよう求めました。
 ネットカフェ利用者に独自にアンケート調査してきた串田真吾民青県委員長は「年齢構成など、国の調査結果と共通する点もある一方、(1)仕事を求めて他県から働きにくる若者が多い(2)長時間労働で家に帰れない労働者が多い―など愛知独特の傾向があり、独自の調査が必要」と指摘。
 せこ氏らは「お金がなくてネットカフェすら利用できず、ホームレスになる若者たちが増えています。家賃補助など、国が率先して支援すべきです」と訴えました。
 同局の担当者は「有効求人倍率が高いために若者がたくさん来ているのは承知しているが、派遣や請負が多いのが現状。独自調査は予算的に難しい」と述べました。
 一行は、県にも独自調査を行うよう申し入れました。
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格差社会/ワーキングプア
フリーター、派遣、偽装請負

働く女性の子育てカイゼン

働く女性の子育てカイゼン
カテゴリ
労務管理 > 全般
最終更新日
2005年09月16日 13:03
著者
カインドコンサルティング さん
ポイント
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働く女性の子育てカイゼン――トヨタが社内に託児所  16日の日経新聞に託児所の子供の写真が掲載されました。トヨタ自動車が約70人を預かっている事務職が主に利用する本社(愛知県豊田市)近くに2カ所ある託児所のひとつの写真です。同社は来春、工場で働く女性社員を対象にした社内託児所をあらたに開設します。工場従業員も働きながら育児ができるように預けやすい工場近くに新設するということです。あわせて工場での労働を考慮して妊娠3カ月前後で休職できる制度も検討中です。  トヨタは少子高齢化による労働力不足をにらみ工場で働く女性社員を増やしており、託児所新設はこの一環。工場が集積する三好地区(愛知県三好町)に子供40人を預かる託児所を設ける計画で保育日や時間はトヨタの工場稼働日に合わせ、社員の利便性を高める。 都会では会社近くの託児所をつくっても、そこに行くまでは通勤ラッシュの満員電車に子供を乗せざるを得ず、実際にはほとんど不可能ですが、車通勤が出来るトヨタならではの次世代育成支援といえます。  トヨタでは「人間性尊重」の理念のもと、2002年に発足した『ダイバーシティ・プロジェクト』 で特に女性が働きやすい環境を整備してます。 2005年4月1日に届出を行った次世代育成支援対策推進法の行動計画(「技能職の妊娠・育児期の支援」「キャリアデザインサポート」「職場の意識・風土改革」が取組の柱)のうち「キャリアデザインサポート」の具体的な制度として、 2005年8月1日より、配偶者の転勤や介護により退職する社員に、退職前の部署に復帰できる新制度『プロキャリア・カムバック制度』も導入しました。対象は夫の転勤や介護でやむを得ず退職した女性を想定しているといいます。 このように2002年から多様な人材の活用を進めるプロジェクトを開始、育児休業の取得者は毎年20%ずつ増えており昨年は216人ということです。
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2007年9月7日金曜日

労働者派遣法

○ 労働者派遣法の経過(当初、御用評論家は「職業選択の範囲  が拡大して労働者にとって大変よいことだ」と言っていた)(1)以前の労働者派遣法  26業務のみに限定して認められていた。  情報処理システム開発、機械設計、通訳・翻訳、受付・案内など(2)99年 改悪労働者派遣法  5業務以外は「原則自由」となる(小泉の構造改革)  5業務とは、港湾運送、建設、警備、製造、医療  この時点からサービス業にも派遣が増えた。(3)04年 さらなる「改悪」  製造と医療が自由化され、適用除外は3業務のみ。  それでも、現実には港湾、建設への違法な派遣が  横行して、摘発されて新聞にも載っている。  この時点から製造現場に派遣が飛躍的に増大した。  キャノン、松下、シャープなど日本の大企業のほとんど  が採用した。○ 労働者の商品化 派遣労働者の労働条件は 派遣会社と派遣先会社との、 派遣契約=商取引契約 で決まる。 つまり雇用や労働条件が競争入札にかけられ、買いた たかれる。 21世紀の「奴隷制度」である。 ○ 派遣のさらなる悪質化が「偽装請負」である 03年の製造業での派遣の自由化で、労働者個人を「事業主」にして 社会保険などの事業者の負担をまぬがれる。労災も社会保険もすべて 個人の責任というわけである。 経団連会長の会社キャノン、松下など有名大企業はほとんど違法行為 をして、利益を上げてきた。○ 経済 とは  経国済民(経世済民)。 国を治め人民を救うこと(広辞苑)。  いい言葉ですね。

2007年9月6日木曜日

UAWの動向

UAW:デンソーの米工場で組合員獲得の拠点作り狙う-関係者
9月5日(ブルームバーグ):全米自動車労組(UAW)は、自動車部品メーカー、デンソーの米国の生産現場で組合員獲得のための拠点確保を目指している。米自動車各社がこれを妨げる場合は、医療費のUAW運営基金への移管に反対する可能性が高い。関係者が5日までに明らかにした。
ゼネラル・モーターズ(GM)とフォード・モーター、クライスラーの米自動車大手3社は退職者向け医療費の負担を削減するためUAWと交渉中で、UAWの独立した信託基金に医療費を移管することで、負担減を狙っている。
組合員の減少に悩むUAWは、デンソーの米工場で組合員獲得の拠点を設けるため、この基金の問題を交渉の切り札として利用したい考えだ。トヨタ自動車が23%出資するデンソーはトヨタに加え、米自動車各社にも部品を供給している。
センター・フォー・オートモーティブ・リサーチのアナリスト、ショーン・マカリンデン氏は、「UAWが生き残るためには、トヨタの北米生産拠点に食い込む必要がある」と指摘する。UAWと自動車メーカー側は、14日で期限切れとなる現行の労働協約に代わる新たな協約について交渉しており、関係者の1人によれば、GMはUAWのデンソーでの拠点作りに協力する意向を示している。
デンソー広報担当、マレーネ・ゴールドスミス氏によれば、デンソーはミシガン、テネシー、アーカンソー、カリフォルニア、バージニア、サウスカロライナの各州で合わせて6862人の従業員を雇用している。労組に加入している従業員はいないという。
原題:UAW Seeks U.S. Automakers' Help to Organize Denso, People Say (抜粋) {NXTW NSN JNVOP90YHQ4G}
翻訳記事に関する翻訳者への問い合わせ先:東京 笠原文彦 Fumihiko Kasahara fkasahara@bloomberg.net Editor: Kakuta 記事に関する記者への問い合わせ先: John Lippert in Southfield, Michigan, at jlippert@bloomberg.net 更新日時 : 2007/09/05 15:27 JST

2007年9月2日日曜日

かわら版Japanタイムス

以下参考になるかも

<二週間・Newsスッぱ切り>------------------------------------ 8/6 ・6.4%の事業場で最賃法違反/厚労省の一斉監督結果  http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/08/h0822-2.html 8/9 ・初審命令を維持。南労会(不誠実団交)事件/中労委  http://www.mhlw.go.jp/churoi/houdou/futou/shiryo-01-248.html 8/15 ・民間主要企業の今春賃上げ率1.87%/厚労省  http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/08/h0815-1.html     ・ディーセントワークと持続可能な開発の統合を/ILOアジア      太平洋雇用フォーラム   http://www.ilo.org/public/japanese/region/asro/tokyo/new/index.htm#45 8/18 ・4割「仕事の割に賃金低い」。介護職員11万人調査。離職      者1年で2割も。  8/21 ・組合側の再審査申立てを棄却。JR東海(東海労配転)事件/      中労委  http://www.mhlw.go.jp/churoi/houdou/futou/shiryo-01-249.html 8/22 ・マネキン社員の雇止め、組合差別と認めず。西川産業事件/      中労委 8/23 ・グッドウィルに返還請求/データ装備費問題で提訴、      東京地裁 8/24 ・非正規労働者を支援する専門部局を創設/      連合の運動方針素案  http://www.jil.go.jp/kokunai/mm/kumiai/20070829.htm 8/28 ・ネットカフェ常連利用の住居喪失者、5,400人と推計/      厚労省調査  http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/08/h0828-1.html <労働電子辞書>-------------------------------------------------- No.100 -「破産」 倒産した会社の処理方法の一つ。 倒産処理のうち、裁判所に処理をゆだねる場合、破産法、会社更生法、 民事再生法のいずいれかの法律にもとずいて実行される。 破産は、会社の解散を前提に、債権者が残された資産を分配する最も厳 しい処理方法。倒産会社自身が破産を申し立てるケースを自己破産とい う。