2007年10月22日月曜日

連載 危機に備えはあるか(日経ビジネス2007年10月1日号)

連載 危機に備えはあるか(日経ビジネス2007年10月1日号)第2回

縮む米自動車市場トヨタが恐れる展開米国の自動車販売はこの10年で最低水準に落ち込む可能性が高い。地価の下落で、住宅担保ローンによる消費が難しくなったからだ。資金調達や販売減に苦しむ米フォード・モーターやクライスラー。トラックで攻勢をかけるトヨタ自動車への風圧が高まる可能性がある。 「トヨタ自動車はピックアップトラック市場で高水準のインセンティブ(販売奨励金)を出し続けるのか」 9月10日に米ニューヨークで開催されたトヨタの投資家向け説明会。質問が集中したのは、今年2月に全面改良したピックアップトラック「タンドラ」の販売方針についてだった。具体的なインセンティブの方針を聞き出したい投資家に対し、トヨタ側は木下光男副社長などが慎重な言い回しに終始し、質間者が苛立つ場面もあった。 タンドラは投入時こそ品質問題に苦しんだが、その後は順調だ。米トヨタ・モーター・セールスのジム・レンツ副社長は「年間20万台のペースで販売するという目標を実現できそうだ」と語る。 その販売を支えているのが高額のインセンテイブ。8月に入ってやや抑制傾向にあるとはいえ、地域によっては3000~5000ドルと、トヨタとしては異例の高水準となっている。それによって米フォード・モーターとクライスラーがシェアを奪われている。米市場1600万台割れも 米国の投資家がこの件に注目するのは、ピックアップを収益源とする米ビッグスリーの業績に直結するからだ。米国では信用力の低い個人向け住宅融資(サブプライムローン)問題が深刻化するほど、トヨタヘの風圧が強まるという状況が生まれつつある。 サブプライム問題に端を発する金融不安は、既に米自動車市場に打撃を与えている。全米自動車販売店協会は今年初めに2007年の販売台数を約1650万台と予想していたが、現在は1610万台に引き下げた。アナリストの間からは1600万台を割り、この10年間の最低水準になるとの声が出ている。 最大の要因は住宅価格の下落だ。米自動車調査会社、CNWマーケティングリサーチが自動車の購入を延期した1万4000人に尋ねたところ、全体の18%が「住宅の資産価値減少」や「住宅ローンの支払い増加」など住宅関連の理由を挙げた。「ガソリン代の高騰」と答えたのは全体の5%しかいない。米国の消費者はガソリン代の高騰によって、燃費の良い小型車に変更することはあっても、クルマの購入自体を控えようとはしない。これに対して、住宅価格の下落は自動車の購入そのものを断念させるカがあるようだ。 そこには米国特有の事情がある。米国の住宅ローンの特徴は、住宅を担保にして借金し、ほかの投資や消費に回せることにある。住宅の評価額から住宅ローンを除いた部分を担保にするもので、基本的に使い道に制限がない。 そのため、このローンを使ってクルマを購入する人が多い。大和総研アメリカの坂牧史郎アナリストの試算によると、「2006年の米国における自動車関連の消費支出は3010億ドル(約34兆6000億円)。量のうち最大で10%が住宅を担保としたローンか、住宅の売却益で賄われていた可能性がある」。 これはすなわち、数年間乗るための自動車を20~30年のローンを組んで購入していることを意味する。このマイカー取得の”裏技”が米自動車市場をかさ上げしていた面がある。だが、住宅価格の下落で、そんな金融面での後押しは期待できなくなった。住宅の含み益で購入するのは、高級車や家族のためのセカンドカーが多く、この分野では日本勢も対岸の火事とは言っていられない。トヨタの米市場における販売台数は7月、8月と2カ月続けて前年同月比でマイナスとなった。北米トヨタのある幹部は「(全米で最も住宅価格の高騰とその後の下落が激しい)カリフォルニア、フロリダ、ネバダの3州の販売が特に振るわない」と打ち明ける。 米自動車市場のもう、1つの懸念はピックアップ市場の動向である。2007年1~8月の累計販売台数は前年対比が5%減で推移している。だが、この程度の低迷で済むかどうか、先行き不透明なところがある。 自動車業界ではピックアップの販売台数は住宅着工件数と比例すると言われてきた。下のグラフに示した通り、2000年以降、2つの指標は似通った動きをしている。例外的に2つの伸び率が乖離したのは、2001年の米同時多発テロ後に始まった「ゼロ金利キャンペーン」の時と2005年に米ゼネラル・モーターズ(GM)などが従業員割引制度を一般客に適用した時のみ。いずれも破格のインセンティブで需要を先食いした結果、その後に販売台数の大幅減を経験している。 そして2006年後半以降、3回目の乖離が起きている。今回はトヨタとGMが強力な新車を投入したタイミングと時期が重なる。この新車効果が需要を先食いしているとすれば、この先、いつ反動が来てもおかしくない。資金調達に苦しむ米国勢 サブプライム問題は、ビッグスリーを資金調達面で苦しめる可能性もある。フォードはリストラの一環で英高級車部門の「ジャガー」と「ランドローバー」の売却を進めている。当初は今秋までに実施する予定だったが、年明けまでずれ込みそうだ。同社は売却先として投資ファンドを当てにしているが、このところの資金調達コストの上昇で、多くのファンドが買収先の選定に慎重になっている。 先頃、実施された米投資会社サーベラス・キャピタル・マネジメントによる、独ダイムラークライスラーのクライスラー部門の買収も、銀行団からの融資に難が生じて、延期になりかけた。銀行団はローン債権を証券化し、投資家に売りさばく予定だったが、信用収縮によって高リスク債券が売りにくい状態になった。 サーベラスは、かなりの好条件でクライスラーを買収したと判断していたが、それは資金調達コストが安い時代の話。その前提が崩れた今、資金回収を急ぎ始めている。業界ではGMへの売却説もくすぶっている。 ビッグスリーにとっては自動車ローンの焦げつきも懸念の1つ。CNWマ一ケティングリサーチによれば、自動車ローン利用者に占めるサブプライム層の割合はここ数年増加しており、2006年には13%に達した。金額にして340億ドル(約3兆9000億円)と試算されている。また、全米自動車ファイナンス協会によると、サブプライム融資の焦げつきの割合は2005年は6.5%だったが、2006年は約12%に増えている。 各自動車メーカーがどの程度、信用度の低い人に融資しているかは明確な開示義務がないため、詳細は分からない。ただ、融資した債権を証券化してほかの投資家に売却する際には、オートローンの借り手の信用度情報が記載される。この記載内容を手がかりに各社の融資状況を分析した大和総研アメリカの坂牧アナリストは「ビッグスリー」は日本勢に比べて、信用度の低い顧客に貸しており、ローンの返済期間も長い。貸し倒れのリスクがそれだけ高い」と指摘する。 長期的なシェァの低下に苦しむビッグスリーを収益面で支えてきたのは好業績を続けできた金融子会社と、資産売却の受け皿となってぎた投資ファンドだった。世界的なカネ余りがビッグスリーを支えてきたと言える。だが、このところの信用収縮によって、その前提が狂い始めた。一足先に資産売却を進めたGMはともかく、フォードとクライスラーにとっては、現在の金融不安が足かせとなりそうだ。 それだけに、ピックアップ市場を攻めるトヨタに厳しい視線が注がれる。このところ米紙の報道では、ハイブリッド車の燃費などに関してトヨタに厳しい論調が目立つ。米ボーイングの副社長時代、トヨタ生産方式の導入で経営を立て直したごとから、”トヨタびいぎ”として知られるフォードのアラン・ムラーリーCEO(最高経営責任者)も、最近ではトヨタを表立って褒めるような発言はしなくなった。1円の円高で350億円の損 とはいえ、トヨタとしても昨年、ピックアップの新工場をテキサス州に稼働させた以上、雇用を維持しなければならない。最近の円高で輸出の採算は低下気味。トヨタは1円の円高で350億円の利益を失う。政治的配慮から、ピックアップ販売の手綱を緩められるほど楽な立場ではない。 同社にとって悩ましいのは、新工場の立弛だろう。ジョージ・ブッシュ米大統領のお膝元である南部のテキサス州はピックアップが全米で最も販売される州。トヨタとしては珍しく、物流面の効率ではなく、マーケティング上の理由を優先して立地を決めた。だが、ガソリン代の高騰もサブプライム問題も想定していなかった当時の決断が仇になった面がある。いくらトヨタがピックアップの現地生産を増やしても、失業者の増加に悩むミシガン州など中西部の雇用には貢献しないからだ。 米国は大統領選へ向け、為替や雇用問題に火がつきかねない微妙な情勢にある。イラクにおける失政もあって、現段階では民主党の優位は揺るがない。その民主党の支持母体の1つが全米自動車労組(UAW)だ。大統領選に向けたキャンペーンでも民主党のヒラリー・クリントン候補やバラク・オバマ候補は労組重視を打ち出している。 そして、その火種は、金融不安でフオードやクライスラーが苦境に立たされるほど、勢いを増すだろう。手堅い商売に専念し、収益基盤が強固なトヨタは現在のサブプライム問題など”どこ吹く風”で済んだはず。ところが金融不安とは無縁の同社が、皮肉にもこの問題で苦しむ可能性が出てきた。(ニューヨーク支局 山川 龍雄)