2007年10月31日水曜日

UAWの衰退

全米自動車労組の弱体化、日本メーカー進出が一因http://www.afpbb.com/article/economy/2304578/2294657【10月29日 AFP】日本の自動車メーカーが米自動車市場に進出したことで痛手を被ったのは、米自動車大手3社(ビッグスリー)だけではない。デトロイト(Detroit)に拠点を置き、かつては強力な組織力を誇った米全米自動車労組(United Auto Workers、UAW)も同様だ。 25年前の1982年にホンダ(Honda)が、さらに4年後にはトヨタ自動車(Toyota Motor)が米国での自動車生産に乗り出して以降、UAWは日本企業の工場における組合の組織化を何度も試みてきたが、成功していない。■日本型生産システムが米メーカー水準を押し上げ 1982年11月1日、ホンダがオハイオ(Ohio)州に日本車メーカーとして初の組立工場を設立したとき、米国人労働者に高品質の自動車を生産できるのかという疑問がもたれた。 しかし日本車メーカーは米自動車製造業界に革命を起こした。常に改良を重ね、共同作業で問題の根本解決を探る生産システムを導入したのだ。 工場における生産性を研究するアナリストによると、日本企業が導入した生産システムにより、米自動車メーカーにも、自動車の品質に高い水準が要求されるようになり、またより少ない人数による生産効率が求められたという。■組合よりも日本メーカーで昇進を選ぶ従業員 ビッグスリーが採用した日本型経営手法に従うことにはUAWも合意したが、若年層や非組合員が増えて賃金が下がっていく状況を受容はできなかった。 日本メーカーの現地工場の多くは、「ラストベルト」と呼ばれる米国の伝統的な重工業地帯ではなく、労組の基盤のなかったアラバマ(Alabama)州やテキサス(Texas)州に設置された。それらの工場では、賃金こそUAWが労使交渉で獲得した水準と同程度が維持されてきたが、福利厚生や各種手当などは低く抑えられた。 また日本メーカーの現地拠点の規模が急速に拡大するにともない、従業員の昇進機会が増えたことも、組合化が進まない理由となった。 ホンダで働く男性は、オートバイの塗装ラインの作業員として入社し、現在はオハイオ州メアリズビル(Marysville)にあるホンダ工場で、技術計画の責任者をしている。 男性は、労組に属したこともあるが、ホンダではもっと経営に協力的なアプローチが向いているという。経営陣は問題解決の過程に従業員を参加させ、チームの一員としての自覚を持たせることを奨励しているため、「ここで働く人々の大部分が自分の仕事は重要だと感じているだろう」と語った。(c) AFP/Mira Oberman。