2015年5月30日土曜日

浜通り訪問記 序

浜通り訪問記 序
                                                                      櫻井 善行
 2001年3月11日、東日本大震災から4年が過ぎた。さすがに4年も過ぎれば震災の爪痕も見えなくなるはずだ。東日本大震災の場合も杜の都仙台の駅頭にたっても数年前に悲惨な出来事があったことを忘れさせるぐらい活況を呈している。もちろん震災復興バブルのたまものであるのだが。ところが場所を沿岸に目を移すと光景はがらりと変わってしまう。破壊された家屋や田畑に乗り上げられた船舶、がれきの山や寸断された道路などは少なくなったが、多くは更地を目にし、福島浜通りまで行くと、瓦礫に変わって黒いビニール袋に入れられた除染残土とおぼしき物が所狭しと並んでいる光景は異様である。
 私はチェルノブイリ救援中部の放射線測定ボランティアに参加して、もう5回目か6回目になる。年をとると力仕事は無理でも、測定ボランティアぐらいならという思いで参加したのが最初の動機であった。今も気持ちはそうだが、それ以上にこの地域社会がどのように変化しているかを自分で確かめたいという気持ちの方が強くなった。とともにそこに住む人々の生活ぶりや表情もみてみたいと思ったからである。
 2011年6月南相馬の鹿島から始まった測定ボランティアは、原町から小高まで測定地域が広がり、昨年秋からは浪江町にも足を踏み入れることが可能になった。春と秋、季節が移りすぎて行く頃に顔を出すようになったが、いつの間にか私のライフサイクルの1つとなりつつある。しかも人見知りの私もやっと地元の人と会話ができ、小さいけれども繋がりができるようになった。職をリタイアしてから始まったこのドラマは筋書きがない分、新たな出会い発見も含めて、まだまだこの先続きそうである。