2015年11月3日火曜日

その3

4 西三河地域の特性
(1)自然環境
 以上に記した西三河地域の概要を以下にまとめることとする。西三河は地理的には愛知県中央部に位置する。愛知県は知多半島東の衣浦湾・境川ラインの東側は三河部、西側は尾張部になる。その三ヶ根山を境に三河部の西側が西三河になる。西三河の中央部には一級河川矢作川が南北に流れ、その流域の東西に広がる平野が中心の地域である。北は岐阜県・長野県に隣接する北部山間部地域から三河湾に面する南部平野部にまで及ぶ。土地利用状況は農用地が14.4%、森林が52.0%、宅地が9.9%、工業用地が2.4%である。平野部は矢作川・境川の肥沃な沖積層地帯から、近代以降の明治用水あるいは愛知用水の利水によって、特色ある農業地帯が形成された。その典型が「日本のデンマーク」安城である。県都名古屋市から距離にして20キロから30キロに位置することから、その利便性も後の地域社会の発展に寄与した。
(2)産業集積の状況
 その地理的条件が、戦後日本経済の発展とりわけ高度経済成長以降の自動車産業による世界的な一大集積地の形成を成し遂げていくことになる。この地は刈谷市・豊田市を中心に自動車産業+工作機械を中心に機械関連産業とそれと関連のある電気・電子機器関連産業の集積を促していった。雇用の一大市場であったのはいうまでもない。だから全国各地から若年層を中心に豊かな労働力が流入した。
 とりわけこの地域を特徴付けるのは高規格道路を中心とした道路網の整備である。古くは国道1号線が中心部を走り、その南側には国道23号線がはしっていた。それに北部には153号線(飯田街道)が通過し、南北には国道248号線縦断し、さらに155号線が北部から西部にかけて環状線機能を果たしていた。それに加えて高速道路網の整備は、1969年には東名高速道路が開通し大動脈を豊田市の中心部を横断し、後には2005年愛地球博を契機とした、伊勢湾岸道路と東海環状道路の開通によって西三河の外縁に岐阜県東濃・西濃地方や三重県北勢地方まで位置づけられるようになり、しかも国道419号線の衣浦豊田道路としての開通や、国道23号線の国規格道路としての延長拡大、そして衣浦港の整備によってグローバル生産の拠点として位置づけられるようになった。道路は産業道路として機能しているだけではなく、通勤(場合によって通学も含めて)やレジャー・買い物などの生活道路として活用されている。全国どこでも見られるが、商業施設は駅前通りは衰退し、郊外に巨大な大型店が立地し、人々は車で買い物に行く。地域社会が過度に車に依存している典型的な事例である。車があればどこにでも行くことができるが、車を自ら利用することができない弱者にとっては大変厳しい社会である。注15  実際に西三河の鉄道網は東海道本線と名鉄名古屋本線を除くと貧弱で、名鉄豊田線(赤池~豊田市)は1979年に開通したものの、その後に名鉄三河線猿投~西中金、同碧南~吉良吉田は廃線になっている。名鉄西尾線も西尾以南の存続についても話題になっている。
(3)自治体の動向
 西三河は21世紀初頭ではまだ8市9町2村の自治体から成り立っていた。「平成の大合併」を経て、現在では9市1町の自治体になった。だが実際には豊田市プラスみよし市の旧豊田加茂地域、岡崎市と幸田町の旧岡崎額田地域、西尾市幡豆地域の西尾地域、それに碧海5市(刈谷、安城、知立、碧南、高浜)という4つの地域区分の棲み分けは変わっていないものの、微妙な変化もある。碧海5市内部では、刈谷市と安城市の意向・思惑のずれ、さらに根強い自立志向の碧南市の存在など、政府サイドでの強力な誘導がないことには当面は一体化はあり得ない状況である。それに変わって現在進行中なのが、市町村合併や「広域連合」以外の連携の模索である。以前からある「一部事務組合」に加えて、近年は「自立定住圏」という合併を前提としないゆるやかな地域連携の模索も始まった。この地域でいうならば、先に触れた刈谷市、知立市、高浜市、知多郡東浦町の4つの自治体による「広域自立定住圏」である。この動きが今後どうなっていくかは定かではないが、1つの新しい動きとして注目はされよう。
 この地域はこうして現段階では以下のような変容を指摘できる。それはこの地域が企業城下町として性格は残しつつも、確実に変容しつつあることである。
(4)西三河の到達点
①日本の自動車産業の成熟化とともに、グローバル化による生産拠点の分散と国内・海外に移行をあげることができる。トヨタ自動車に限るならば、かつては生産拠点は豊田市と三好町に集中していた。その後国内では碧南の衣浦工場や渥美の田原工場に、そして九州北部や北海道、東北への生産拠点を分散拡大させていった。明らかに過度のトヨタ・自動車への依存からの意識的無意識的脱却という現象がみられ、自動車産業からの離陸・自立が始まりつつある。
②いまや高度経済成長の時代は過去のエピソードである。その時代の担い手であった当時の青年・壮年層の団塊の世代はすでに現役を引退し、高齢者の仲間入りをしている。当時の「入植者」が後期高齢化になり、現在の壮年層は1980年代生まれ以降が主力となり、生まれたときからこの地で育ってきた人々も少なくない。しかも経済の右肩上がりの時代を知らない人々が多数を占めるようになった。こうして地域社会が必ずしも自動車産業だけに依存していた時代とは異なるようになった。西三河の住民の中に、トヨタの恩恵を感じる人の数は少なくなりつつある。
③いびつとはいえ輸送機器産業を中心に繁栄してきたこの地域も、刈谷市や安城市や知立市のように名古屋市という大都市圏の衛星都市あるいはベッドタウンとしての性格を持つ自治体も出現した。みよし市や名鉄豊田線沿線沿いの豊田市北西部もその傾向が出てきた。④しかも近年のCSR(corporate social responsibility)=「企業の社会的責任」やグローバルコンパクトの影響も受け、企業も形だけでも社会的責任を意識せざるをえないようになった。そのことは従来は企業の意向に従属していた自治体・地域社会が現在では表向きは対等の立場になったことを意味する。この変化は地域社会のあり方に決定的な役割を持つようになった。
 そのうえで地域社会の変容と隣接地域との関係も単純でなく相互影響ももたらすようになった視点も重要である。これからの時代の地域社会の特性は閉鎖的な個性を強調するのではなくお互いに隣接地域と関連しながら発展して行かざるを得ないようになる。こうした前提のうえで西三河の地域社会における学校(公教育)はどうなっているかは次の機会に検討することとする。注16
参考文献
安保邦彦『中部の産業----構造変化と起業家たち』清文堂出版、2008
西三河統計協議会編『2014西三河の統計』2014
宮本憲一 , 中村剛治郎『地域経済学入門』有斐閣 1990
岡田知弘『地域作りの経済学入門』自治体研究社、2005
猿田 正機『トヨタシステムと労務管理』 税務経理協会、 1995
猿田正機『トヨタ企業集団と格差社会―賃金・労働条件にみる格差創造の構図』
ミネルヴァ、 2008
塩見治人、梅原浩次郎『トヨタショックと愛知経済―トヨタ伝説と現実』晃洋書房 2011
塩見治人、梅原浩次郎『名古屋経済圏のグローバル化対応—産業と雇用における問題性』、晃洋書房、2013
城山三郎『総意に生きる----中京財界史』文藝春秋、1994
丹辺 宣彦, 山口 博史、岡村 徹也『豊田とトヨタ―産業グローバル化先進地域の現在 』東新堂 2014
都丸泰介他『トヨタと地域社会』大月書店
トヨタ自動車『トヨタ自動車環境報告書2014』2014

1 1914(大正3)年に第一次世界大戦勃発は戦争景気を促し、「豊田自働紡織工業」も個人経営の域を越え、法人組織「豊田紡織株式会社」が1918(大正7)年1月30日に誕生した。株式会社豊田自動織機(TOYOTA INDUSTRIES CORPORATION)の設立は1926(大正15)年11 月18 日のことであり、自動車部を設置は1933(昭和8)年で、大衆乗用車完成記念展覧会開催、自動車製造許可会社に指定は1936(昭和11)年、自動車部を分離しトヨタ自動車工業株式会社(現トヨタ自動車株式会社)の設立は1937(昭和12)年 だった。「トヨタ紡織」HPを参照     http://www.toyota-boshoku.com/jp/about/company/
2 知多地区は尾張とはいえ、他の尾張地区とはかなり様相が異なる。南北に細長い知多半島の東海市や大府市や知多市は名古屋市のベッドタウンの側面があるが、南に行くに従い過疎的傾向が顕著になる。半島北側の西三河に隣接対面部分の東浦町、半田市、大府市などは産業構造は西三河の外延的な位置として機能している。 
3 名古屋市都心部の金山駅からJR沿線の刈谷駅までは快速電車で15分程度、安城駅までは20分程度、岡崎駅までは25分程度で移動が可能で、名鉄沿線の知立駅までも特急で20分弱で移動できる。名古屋市内の周辺に位置するところからよりもスムーズに移動できるメリットがある。
4 トヨタ系などの「生産関係職」でいうならば、普通科高校卒業生にも企業は積極的に門戸を開いてきたし、正規雇用での中途採用も積極的に行ってきた。これは製造業だけでなく、第三次産業である金融・サービス業などでも受け皿として機能した。
5  旧碧海郡の中でも矢作町、六ツ美町は岡崎市に、明治村の一部(米津村、南中根村)は西尾市に、高岡町、上郷町は豊田市に編入しているが、微妙にタイムラグがある。
6  この運動は5市の青年会議所が中心となり、各市に合併協議会の設置のための住民投票条例の設置を求める請願として始まり、碧南市以外では採択されたが、碧南市だけはトヨタ系議員2人の賛成だけであえなく否決された。
7 「定住自立圏」とは「中心市」と「構成市町村」が役割分担し、生活に必要な都市機能を確保するとともに、生活利便性や地域の魅力の向上を図ることを目的に始まった新しい広域連携の施策のことをいう。定住自立圏は、中心市と周辺市町村が1対1の協定を締結することを積み重ねる結果として形成される圏域になる。定住自立圏構想は、協定により連携や協力を図るもので、市町村合併や広域連合とは異なる新たな地域づくりである。
「衣浦定住自立圏」HP https://www.city.kariya.lg.jp/teijyu/jirutsukenkoso/index.html
8  幸田町は西三河の最東部に位置していることもあって、岡崎生活圏と同様、東に隣接する東三河の蒲郡市とも繋がりがあった。現在も火葬は蒲郡市と共同である。
9 公益財団法人日本都市センターのHPを参考に岡崎額田地域の合併の流れを時系列で整理した。 http://www.toshi.or.jp/
10 西尾市は約50ある全国京都会議にも参加しているが、中心市街地が古い町並みを残し、伝統的な行事もあるという理由からである。この是非はおくとして、西尾市が他の西三河の都市と比較して独特な文化の街であるのは否定できない。
11 幡豆郡豊坂村は1906(明治年)に豊国村と松坂村が合併したものである。
12 豊田佐吉発明の「自動織機」を製造するため、愛知県碧海郡刈谷町 (現刈谷市)に株式会社豊田自動織機製作所 〈現株式会社豊田自動織機〉を1926(大正15)年設立。
13 グローバル化の具体的な現れは、トヨタ自動車では海外生産が国内生産を上回る時期であり、大量の日系の外国人が国内に流入する1990年代以降のことである。
14 リーマンショックからトヨタショックに至るまで1年程度の誤差があるが、トヨタに限らず「派遣切り」に代表される非正規労働者の雇い止めは大きな社会問題となった。全国的には「年越し派遣村」が大きな話題を誘ったが、この地でも職にあぶれた労働者の「労働相談」が各地で行われた。
15 新幹線三河安城駅の実態が西三河地域を象徴している。この駅はこだま号しか停車せず、在来線の駅も数百メートルも離れ、他の交通機関はタクシーかマイカーでの送迎が基本である。西三河の各自治体の中学生の修学旅行はこの駅を利用しており、このときは駅周辺では送迎の車であふれかえる。近年この三河安城駅と市街地を結ぶコミュニティバスもやっと開通した。
16 公的試験研究機関やインキュベート施設は名古屋市に集中しているが。研究機関等は岡崎市の旧愛知教育大学跡地に、文部科学省の自然科学系の大学共同利用機関である基礎生物学研究所、生理学研究所、分子科学研究所がある。安城市には愛知県農業総合試験場の水田利用研究室(作物研究部)があり、あいち産業科学技術総合センターが豊田市に、産業技術センターが刈谷市に、三河窯業試験場は碧南市にある。
 大学は刈谷市に1校(愛知教育大学)、岡崎市に3校(人間環境大学、岡崎学園大学、愛知産業大学)、豊田市に3校(愛知工業大学、桜花学園大学、愛知みずほ大学)あるが、産業発展と比較して知的文化的側面は弱いものがある。この点は後期中等教育の現状からも探る必要もある。
                                                  (さくらい よしゆき 研究員)

図表は割愛しました。必要な方は連絡を。

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