2015年11月3日火曜日

トヨタが地域社会に与えた影響                         研究ノート
 -----西三河地域の変容についての考察
                                                                      櫻井 善行
図1 西三河の位置と範囲
資料出所 塩見・梅原[2013]P266   櫻井善行 記述部分

はじめに 本稿の目的
 本稿では愛知県西三河地域の特徴を、この地域に大きな影響を与えてきたトヨタ自動車ならびに関連企業との関係で地域社会の変遷を考察するものである。その場合前提としてこの地域に大きな影響を与えてきた、トヨタ自動車を頂点とする企業集団の特性と愛知県西三河地域の特性を統一して捉える必要があると筆者は考える。
 筆者はかつて「トヨタの企業福祉」「トヨタと教育」という表題で拙稿を書いたことがある。(猿田正機編『トヨタ企業集団と格差社会』2007)そこでは大都市名古屋の周辺に位置する西三河地域がかつては日本ではどこにでもあるような農業依存社会に過ぎなかったが、第二次世界大戦中のさなかに設立された株式会社豊田自働織機製作所自動車部から分離したトヨタ自動車工業(後のトヨタ自動車株式会社)注1が、1937(昭和12)年に当時の挙母町(現豊田市トヨタ町)の丘陵地に自動車生産工場を建設したことが、その後の地域社会に大きな影響を与えてきたことを指摘した。その様相は戦後の高度経済成長を経て一気に加速化することになった。高度経済成長期の日本列島での農村から都市化への変容はどこでもみられたが、とりわけこの地域は、周辺には農村の面影を残しながらも工場立地の開始と工業地域へと大きな変貌を成し遂げ、全国から新規学卒者と炭鉱など斜陽産業の離職者らの雇用受け皿として、若者を中心に多くの人々がこの地に流入することになった。当初、地域社会のインフラ整備が地域社会の膨張に追いつかなかったため、住民にとって必要な施設が決定的に不足していたことはよく指摘される。病院がない、交通機関がない、商店がない、学校がない、住む場所がなく保育所や学校のキャパシティも決定的に不足していた。こうした住民の生活に関わる多くの困難に直面したという。その課題に直面したからこそ「企業主導型」の地域社会形成の根拠があった。そこから企業に依存する企業社会と企業城下町が形成されていくことになった。
 とはいっても西三河全体を捉えたとき、必ずしもこの地域のすべてがトヨタの影響を一律に受けてきたわけではない。その地域・自治体の歴史や立地条件によって温度差があるのはいうまでもない。そうした地域内部の特性を考慮しながら地域社会の変容について見ていくことにしたい。そうした現状認識の上でこの地域の学校教育の特徴を考察するのが次の目的・課題となるが、第1部は西三河の地域社会、第2部は西三河の学校教育の予定で筆を進めることとする。第2部は次回以降とする。
第1部は西三河の地域社会
1 西三河の風土と概観
 本稿での理解を深めるために、地域としての西三河の位置と特色をまず考察することとする。西三河は愛知県東部にあたる三河部の西側に位置し、この地のほぼ中央の南北を縦断する矢作川の東西領域に開かれた広大な地域である。かつては多くの自治体があったが「平成の大合併」を経て、現在では9市1町の自治体からなり、面積は1979km2、人口は158万人を擁する地域である。愛知県総体が面積5165km2、人口が744万人、名古屋市は面積326km2 人口が227万人であり、尾張、名古屋市、東三河とともに愛知県内の1つの地域文化圏を形成している。
 本稿で扱う西三河を構成している愛知県は、日本列島の中部に位置し、中部地方の県では最も人口が多く経済的にも豊かで、県庁所在地の名古屋市は中部地方で最大の人口を擁する都市である。愛知県は三大都市圏の一角である中京圏の中心の県であり、製造業を中心に日本経済を大きく支えている地域でもある。
 その愛知は、尾張(含む名古屋)、西三河、東三河の3地域で構成されている。面積比はほぼ 1:1:1、人口比はほぼ 7:2:1になる。愛知県の名称は郡名が県名にされた県の一つで、現在の名古屋市の中心部が所属していた愛知郡に由来しているという。
 尾張地域は面積1,686.53km²、人口5,116,322人であり、政令指定都市として名古屋市があり県庁所在地である。千種区、東区、北区、西区、中村区、中区、昭和区、瑞穂区、熱田区、中川区、港区、南区、守山区、緑区、名東区、天白区の16区からなる。特例市としては一宮市、春日井市があり、その他に21市ある。
 なお尾張は名古屋市と名古屋市外の尾張地区と知多地区に区分され、名古屋市外の尾張地区も尾東(豊明・長久手、日進、瀬戸、春日井、尾張旭の各市と愛知郡東郷町)、尾北(犬山、小牧、江南、岩倉、北名古屋、清須の各市と丹羽郡扶桑町・大口町)、尾西(一宮、稲沢の各市と西春日井郡豊山町)、尾南(津島、弥富の各市と海部郡大治町、蟹江町、飛島村)と区分されることもあるが、三河を東西に区分するほど厳格にはなされていない。知多地区は、尾張とはいえ名古屋市以南の知多半島にある半田、大府、知多、常滑、東海の5市と東浦、阿久比、武豊、南知多、美浜の5町からなる。注2
 西三河地域は面積1,756.60km²、人口1,582,589人で、中核市に岡崎市、豊田市があり、その他の市には安城市 、刈谷市、高浜市、知立市、西尾市、碧南市、みよし市の9市と額田郡幸田町があるが、詳細は以下に記す。
 東三河地域は面積1,662.55km²、人口753,013人で中核市として豊橋市があり、その他の市として豊川市、蒲郡市、田原市、新城市があり、町村には北設楽郡の設楽町、東栄町、豊根村がある。愛知県内では独自性が強い。
 本稿の課題である西三河地域の開発は、岡崎などの城下町や東海道の宿場・交通要地を除けば主に明治以降のことである。平野部の多くは以前は荒れ地が中心で、この地を豊かな農業地帯に変貌させたのは、矢作川の利水を活用した明治用水の存在であった。その恩恵をもっとも受けたのが矢作川西側に位置する「日本のデンマーク」安城市であったが、この地の周辺は全国でも数少ない都市近郊農業が発達した地域でもある。現在も安城市の周辺に位置する碧南市や西尾市、豊田市の南部や北部では特定の農産物に依拠した高いレベルの農業経営が営まれている。
 一方この地は、高度経済成長期には自動車産業の企業城下町である豊田市と刈谷市を中心に工業地帯として成長するようになった。それを支えたのがモータリゼーションであり、トヨタ自動車に代表される輸送機器産業であった。これまでの「元気な名古屋」はこの西三河の製造業の成長・発展によって可能であった。
 ただ西三河地域も1つに単純化することはできない。トヨタという一大企業集団の存在は無視できないが、他方では現在もトヨタとは直接関係のない農業の存在や岡崎市や西三河南部を中心とした伝統的な地場産業の存在も無視できない。歴史ある城下町であった岡崎市だけでなく、高浜市の瓦や西尾市・碧南市を中心とした鋳物などがある。しかもこうした産業基盤以外にも、近年では県都名古屋市に公共交通機関利用によって30分前後で移動可能な利便性にも恵まれ、生活基盤が名古屋のベッドタウン的な機能を果たす自治体も生まれている。注3こうして現在の西三河地域は、旧来の自動車産業に依拠した豊田市・刈谷市の企業城下町だけでなく、様々な要素が混在しているところにその特徴がある。
2 西三河の自治体と地域区分
 その西三河は現在では9市1町の自治体から成り立っているが、これまで一般的には以下の4つのエリアに区分されてきた。
 豊田市と旧東西加茂郡の町村からなる地域で、これまでは周辺の東西加茂郡の5町2村                                        とともに広域行政圏を形成してきた。「平成の大合併」のかけ声を契機に法定合併協議会での論議がなされてきたが、三好町が自立の道を選択して、合併構想は一度は破綻した。だが総務省の指導と合併推進派の巻き返しによって、三好町を除く1市4町2村により、2006年4月に新生の豊田市としてスタートした。この過程で当時北設楽郡稲武町が文化的・地理的な結びつきが強いとして東加茂郡に編入、他の町村と同時に豊田市に編入されることになった。これが豊田市が現在長野県と岐阜県に隣接する理由である。なお、旧三好町はトヨタ自動車の工場が3つもあることから、財政的にも恵まれ、名鉄豊田新線の沿線・名古屋圏東部のベッドタウンとしても位置づけられ、人口急増によって、市への移行要件が成立して2010年1月には「みよし市」としてスタートした。豊田市とは現在も繋がりはあるものの、西三河の他の自治体とは異なった様相を示している。
 岡崎市と旧額田郡2町は西三河では歴史もありもっとも伝統的な地域である。とともに製造業の事業所や官公庁の出先機関もそれなりに立地されており、都市基盤は西三河の中ではもっとも整備されている。「平成の大合併」で額田郡額田町を吸収合併したが、同じ額田郡内では幸田町は自立の道を選んでいる。 
 西三河南部に位置する西尾市と旧幡豆郡3町は、2011年4月に、これまでも屎尿処理や介護保険などで広域連合を形成し、結びつきが強かった隣接する幡豆郡の幡豆・吉良・一色の3町を吸収合併して、新生の西尾市としてスタートした。小さな地域だが独特な役割もある。トヨタ関連企業も進出しているものの、まだ伝統的地場産業があり、産業基盤や生活様式が従来の農漁村的スタイルから完全に脱却しているわけではない。ただこの地が名古屋を核とし、JR東海道本線や名古屋鉄道本線、国道1号線の基軸ルートから外れた地域になるという難点は、一方では独自の地域社会の維持という利点がある。
 碧海5市(衣浦湾東部地域に位置する刈谷・安城・知立・碧南・高浜の5市)では、「平成の大合併」構想よりも早い時期に合併構想がすすめられたが、頓挫した。しかし地理的・文化的繫がりは強く、消防などは一部事務組合として衣浦東部広域連合を形成している。豊田市に次いで製造業に依存し、中でも刈谷市はトヨタグループ企業の典型的な企業城下町として発達してきた。

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